J’aime le théâtre♡

観劇日記。

ミュージカル『太平洋序曲』

美術すごく素敵だなぁ日生劇場とも合ってるなぁ楽曲美しいしみんな歌ウマ(プリンシパル以外の皆さんの見せ場がしっかり多いのも良い)だなぁ海宝くんのIt’s called a cutawayだけ英語でめっちゃ発音良く言うのええなぁとか、楽しく観てたんだけど、え?将軍が斬られた?それはいくらなんでもって一気に困惑状態になった。

そして狂言回しヤマコーが輝かしく揚々と現れたと思ったら明治天皇!?から近代化し現代へ続くニッポンは「無いのなら真似ればいいのさホトトギス」とアジア侵攻

日本の近代化はあらゆる点で借り物・模倣だということにグサッとくる。

これがアメリカ人から見た日本なんだな。日本人である私はこれをどのように観ればいいんだ?

1976年にソンドハイムは何故この題材で作品を作ろうと思ったんだろう?アメリカのお客さんに向けた作品だから西欧列強批判は入ってるよね。ジャパンはどんどん発展したし今や経済大国だよ追い越されるよ?みたいな?

で、2023年の日本人に突きつけられるものはまた全然違う筈だ。これは間違っても日本のサクセスストーリーなんかではない。外圧による開国から始まった近代化の中にマズい点は無かっただろうか、今の問題点に繋がっていることがあったのではないか、私たちは今どこに立ってるんだろう…そんなことを思わざるを得ない。

 

香山が殺されたという史実は無いし万次郎が攘夷派になったなどというのも勿論フィクションなんだけど、将軍が斬られたという表現に殊更に反応してしまったのは何故かな?と観劇後ずっと考えていて…

やっぱりそれだとその後の日本が辿る道は全然違って、"Next"以降の今に繋がらないんじゃないかな、ってことはこの作品の中の表現として相応しくないんじゃないかな、というふうに思えてきた。

将軍が殺されたりなんかしてたら内戦はもっと酷いことになっていたし、諸外国がもっと干渉してもっともっと不穏なことになっただろうし、日本の近世と近代はもっとバッサリと地続きじゃなかったかもしれない。もしかしたら日本人の精神性や政治システムなどの中に"前近代的"なものが今より残存しないことになったかもしれない。

もちろん、良くも悪くも。

日本は革命を経験していない、ってよく言われるじゃんね。

将軍が斬られるような革命的な大転換を経ていないからこそ、借物・真似事な近代化の道を辿りその果てに今の日本があるという側面はあるわけで。

 

しかしね、こんな題材はBWで大してウケなかったでしょうね。注目された点は能とか歌舞伎とかの様式をちょっと入れ込んだことだったんだろうな。楽曲にも感じられるエキゾチシズムだったり。

 

やっぱねぇ70年代に経済の勢いがあったジャパンをどのように眺めるかという点において同時代のアメリカ人と2023年の日本人ではもう全然違うわけで。

この70年代のアメリカ視点なものを観て、さぁ我々は何を思いますか?っていう。

自分の認識(学校で習ったことや世間一般に言われていること)と合致する部分、違う部分、もしかしたらこっちの見方の方が正しいかも?という部分、他国の歴史について自分の知識や認識もどうよと省みること…

 

否が応でも批評的に観る姿勢を誘発される、日本人にとっては貴重な作品なのかもしれない。

欧米人たちはこういう批評性が自ずと湧き出てくるだけのバックグラウンド・下地を、アレを観るんでもアレを観るんでも持っているのかぁとか思うね。