J’aime le théâtre♡

観劇日記。

『美しきものの伝説』

戯曲に惹かれて以来いつか上演を観たいと思っていたし、新劇系7劇団による「新劇交流プロジェクト」って企画がアツいよね。俳優座劇場の廊下にある先人たち(少し後の時代の方々だね)の肖像も今日は思わず立ち止まって眺めてしまったよ。

 

演劇と思想/政治/社会運動がコインの表裏のように一体であった時代の話だ。

 

民衆

クロポトキン大杉栄の翻訳、ロメン・ロォラン「民衆劇論」

生活に追われず知識を備え芸術を楽しむことのできる"民衆"をまず作らないと、って。

 

民衆を信じるか否かとか、民衆を発見したとか、民衆の中に入って行くとか、演劇人がそういう立場・視点であること自体、現代の演劇ファンにとっては違和感じゃん?そう感じない人たちもいるのかな?

まぁ「お客さんを信じる」とかっていう話は時々聞くけどねぇ。

 

そう言えば私この3日間で能歌舞伎新劇って観てるw

まぁ普段「新劇」と意識することはないよな。ここらへんは"老舗劇団"って見えてる。振り返ってみると私はこれらの劇団へは主に翻訳劇を観に行ってるかな。

文学座俳優座は今も「新劇」を標榜してるのか?社会運動色を持つ(民衆に働き掛ける)新劇の劇団として発足はしたのだろうけど。あ、四季もスタートはここだったんだね。

社会派ってこと?娯楽・商業ではなく芸術だっていうところ?

確かに文学座とかはまぁなんとなくそんな感じはするかな。組織なんかを見ても。

新国立とか公共劇場でやってるのも新劇ってことになるのかしら?

今はもちろん、新劇運動が始まった頃のように「民衆を教育・啓蒙する」みたいなことは言わないけど、「社会と繋がる」とかは言ってるよね。「社会の役に立つ」と言うこともある。これについてはコロナ禍でのいろいろを経て、役に立とうとすることって危険では?役に立つものしか存在しちゃいけないっておかしくない?と考えるようにもなっているけど。

それにつけても今日の客席あまりに年寄りばっかりで唖然とした。だいじょぶですか?

 

魅力的だったのは荒木真有美さん(俳優座)が演じた野枝。屈託なく、わけわかんない逞しさ。どんどん子ども産んでさ。

古谷隆さん(青年座)の学生久保も良かった。というか、抱月先生とのあのシーンが良かったのかな。あら「一本の杭」ってルソーの言葉なの?

いろんな人の独白シーンがある、みんなにスポットが当たる群像劇ね。狂言回しの突然坊は女優2人でやってて、そこだけ現代っぽく別時空の人に見えて面白かった。

 

大杉と野枝の最期(甘粕事件)は酷いんだよねぇ。そんなことへと向かって行くこの時代、"ベル・エポック"なんかじゃない。

怖いよ。今だってそうかもしれないから。 

貴婦人クレールの来訪のようなきっかけがあれば、人々/社会は容易にどうにでもなってしまう。

 

社会主義の理想に燃えロシア革命に沸き立っている彼らの姿は後世の我々の目には儚く遣る瀬なく映る。私には抱月先生の言う「二元の道」がやっぱりしっくりくるし、演劇はちゃんとしたビジネスであって欲しいと思っている。

でも日本の近代演劇はこういうところから始まって今に至るのだということを知るのは面白い。

 

今秋に流山児事務所でもこの戯曲が上演されるけど、こちらは演出家も若いし登場人物たちを"尊い先人たち"としてではなく"悩み足掻いていた若者たち"という描き方をしてくれるみたいなので期待する。

まぁその前にオーソドックスと言うか新劇の立場で上演されたものを観れたのはよかったかもね。新劇という概念を認識して、改めて現在の演劇シーンを見渡すことにもなった。若い劇団員たちはどう感じてるんだろうね。「新劇はどこへ向かうのか」とたぶん出演者のどなたかがツイートしてたけど、自劇団のルーツを意識し現状も見た上で、さて、と思うわな。

私はこれからもいろいろ観るぞー!何だって観るぞー!って思ってるよ😊

 

 

六月大歌舞伎 第一部

どうしたって頭ん中に♪ちょは〜っかいは いない〜けぇどって鳴っちゃうよなー😅とか思いながらゆるゆると『猪八戒と言うかむしろけんけんの悟空を観るつもりで行ったけど、おっとその前に『菅原伝授手習鑑』だ。


この「車引」がなんか予想外に面白くて!

荒事の梅王丸と美しい桜丸の並びが何だか良いし、衣装の色彩(紫チェックや1枚脱いだ時の鮮やかな花模様地)とか舞台美術(梅の花かな?菅丞相が絡んだ話だもんね)も華やかだし、あのね、みんなポージングがいちいちカッコイイんだよね!脱いだ紫チェック部分を黒衣さんが後ろで持ってなびかせてるのとかサイコーでしょ!お花を背負わせてるみたいな効果を人力でやってんの!あと、あの草履の脱ぎ方真似してやってみたくなるーっ😆

浄瑠璃ボックスの中で歌ってる方がいて、役者が台詞を歌うところも多くてミュージカルみたい。

あ、壱太郎くんの踊り綺麗だなぁ。手をクロスする仕草かわいい。

梅王丸は声デカ!と思ったらやっぱみっくんか。すごいね圧倒的だね。赤い隈取り似合うなー。力強い跳び六方もカッコよかった。それにしても腰の刀3本長っ!w

駕籠から悪そうな人出てきたと思ったら猿之助さんだった。

色彩と身体の動きとで作り出される画がとても美しかったんだなー。後で演目紹介を見たら「歌舞伎の様式美を凝縮したひと幕」って書いてあったけど正にそんな感じ。なんだかすごく良いものを観た満足感があったのだった。

あーでもそっかこの後桜丸は切腹するし松王丸は寺子屋で我が子を犠牲にするし悲しい物語になっていくんだね😢


そして『猪八戒』たーのしかったーー!!

猿之助さん愛敬と身体能力全開!

特に少女の時、コミカルで茶目っ気たっぷりでずいぶん笑っちゃったよー。大王の盃に酒をちょこっとしか入れなかったのサイコーだったよな😂

舞台上の上手に竹本連中&囃子連中いらっしゃってこれも壮観。この演目は台詞も太夫の方が歌うんだね。そうだよね役者は踊ったりアクションで大変だもんな。

けんけん悟空たちも出てきての終盤はまーぁ畳み掛ける畳み掛ける!!客席もテンション爆上がりでカテコあるのかなって思うくらい拍手が続いてた!

初演以来90年ぶり?に上演されたらしいけど、いやこれ楽しいよ

けんけんも欄間から登場したりなっがい如意棒振り回して縦横無尽に走り回ってとぼけた演技も面白くて、猿之助のお兄さんと一緒な感じが楽しそうでイキイキしてた☺️あの少女パートけんけんが演じるのも観たいなーと思ったけど"澤瀉屋十種"だそうなのでそれはないのかな。



『パンドラの鐘』2回目

2回観終わって反芻して、ジワジワと「あ、このホン面白いな」と思っている。


鎮魂の鐘。その音色に魅せられる幼き女王。

「化けて出てこーい!」で鐘の上に和装で現れた姿はとても美しく神々しかった。あんなにあどけなくはしゃいでたヒメ女がって、このラストに向けて2時間積み上げてるんだなー。


ミズヲは、ライフストリームの中に還った命かな。そんな感じ。

みんな死に絶えて誰も居なくなればって、人間の営み(科学技術)は地球環境にとって害悪であるという視点か!


卓越した想像力で古代と繋がるオズ、でも現実世界には疎く、社会情勢にも興味がない。古代の声は届いたが、活かすことはできなかったんだ。残念。タマキもさぞもどかしく思っただろうな。


そうか、鐘は、パンドラの箱…"科学技術"のことなのか。光と災厄をもたらす。若いミズヲやヒメ女が惹かれて夢中になるのもよく分かる。


後ろが開いた外は晴れた昼間の忙しい渋谷。より一気に現実に引き戻される感。たまたま通り掛かった運送業者さん?がこちらに気づいてギョッとして逃げてたけど、そうよねビックリしますよね。そちらから見た光景を想像などしてみる。


ピンカートンのひ孫?の日米ハーフ(クォーターとか1/8では?父があの蝶々さんの息子の息子ってことだよね?)のタマキが「待ってるなんてバカ。死ぬなんてもっとバカ!オホホホホ」と、母に負けず高笑いで去って行く強さ、好きだよ。


そっか、パンドラの箱なら最後には希望が残ってるのか昭和の時はダメだったけど、きっとこの次は大丈夫、古代の声が届くはずっていう希望か。この声を一緒に劇場で聴いている人たちがいるから。耳を澄まして地に着けているミズヲと同じように。能舞台から死者の声を聴く。


鈴は金偏に命令だからイヤ!鐘は金偏にわらべ。その音は鈴みたいに直接刺さるのではなく、自由に立ちのぼるように飛んでいく、みたいなことを言ってたかな。音楽的な感覚を持ったヒメ女。

そんな鐘の音が未来に届くに賭ける、とミズヲは言う。


自分から意見を述べず「どう思う?」と尋ねて人に言わせる、カナクギ教授とヒイバア。上に立つ、狡い人の典型。

亀蔵さんの声は本当に素晴らしい。歌舞伎役者の発声ってなんか特別なんだろうか。

白石さん初日よりずっと調子良かったと思う。


ハンニバルって、どういう生い立ち・経歴の人なんだろう?ヒイバアの手下だけど、ヒメ女に思い入れはあると思う。武官として体制に尽くす男。最後はヒイバアに裏切られクーデターの汚名を被って退場。なんかグチャグチャになったけど、攻めてきた敵(未来)からの最後通牒にみんな結局逃げて居なくなっちゃったからね。滅びの前日。


「戦争の相手はいつも未来。でも始める時にはそれはわからない。そして未来には決して勝てない」ってヒメ女言ってた?ミズヲだったかな?これ、どういうことだろう?


あー戯曲読みたくなってきた。

読んだ!


そうだ、現代の玲央さんが言った「古代と現代の取引です。共に静かに暮らしましょう」って、なんかゾッとしたんだった。

あ…どう生きたかなんて問題じゃない、どう死んだかが問題、みたいな話してたしてた。スリーピルバーグスを思い出したんだった。


空気とか勇気とか。狂気とか。

見て見ぬふりをする(うすうす気づいてるのに)、都合の悪い事実は隠そうとする、威勢の良い大本営発表ばかりする怖い怖い。


あぁ「戦争の相手はいつも未来、未来には決して勝てない」って話

旧体制がひっくり返され新体制にとって替わっていく、歴史の積み重なりのことか。旧いものは下に埋もれていく。

勝ったものが即ち"未来"だからね。未来には決して勝てないんだわ。

そっか、ヒメ女は自ら埋まることにしたのか。花咲く丘の美しい風景が焼かれることのないように。人間の作る体制なんて所詮はそうやってどんどん遷り替わっていくものだから。ヒトの繁栄など地球・宇宙の歴史のなかのひと時代に過ぎない。

人間は死に絶えて姿はなく、生命は鐘の音のように風に溶けている、究極的にはそれがあるべき世界の姿だとミズヲは思っていたし、ヒメ女もそれを理解し、惹かれた。王という仕事とは相容れない考えだけど。

そんなふうに考えて自ら埋まった王の存在は、後世の王・為政者にとっては消したいものだよな。


政治批判、社会批判、戦争責任、科学倫理、更には歴史観、生命観ものすごくいろんなものが散りばめられたエンタメ。それこそ、たくさんのカケラが埋まっているんだね。

ふわぁ野田さんやっぱすげぇんだなってなってる今。

何気なく見える遣り取りや言葉遊びみたいな台詞が後々テーマ的なところに収束されていくのもすげぇわ。

なんて言うかね、鮮やかな作劇。

まえがきやあとがきでは野田さんだいぶおちょけてる、照れ屋さんなんだな。


広げて散らかして遊んだところから観客もろともグワッと持ってきてみんなで劇のラストを迎える。そのためには役者の力も相当に必要な筈。まだまだ期待するよ!




『バイオーム』

6/8 初日観劇。

スペクタクルリーディングと銘打ち朗読劇+映像+音楽+衣装で観せるつもりだったところ、成河さんの焚き付けによって?結局ほとんど本を手離しての芝居になったという。開けてみたら"ト書きも読む芝居"でしたねw

 

ワハハなんだこりゃ昼ドラテイスト。見どころは成河ちゃんのテレホンsexかよ!爆🤣

いや、メタセコイヤの成河さん(ドレスの裾をひらっと広げながらのダンス的表現!)素晴らしかったし、植物の皆さんにはとても惹きつけられたんだけど。

こんな植物たちのお歌が聴こえてくるお庭いいなぁ住みたいなぁとか序盤に思ったことを全力で取り消したい😅

勘九郎さん可愛かったけど、あの子を真ん中に置かなきゃいけないかしら。子どもにあんな酷いいろんなことを目撃させてしまうの、虐待を目の前で見せられているようでちょっと堪え難かった。

 

パンフ、ウエクミさんの挨拶の"人間ではない視点"という話、ウエクミさんと演出一色さんの対談での"時間の体感"とか"日本と西洋の伝承の仕方の違い"の話、面白いな。ウエクミさんは興味深い人だ。あら?やっぱりルイとケイを置いたのは後付けなんじゃん。

成河さんのコメントで紹介されてる植物役についてのト書き「人間の役柄と関係があったりなかったりする」って面白いね!そっか、セコイアの生存戦略はひたすら上へ上へと伸びることだ。「僕たちはケイに何を託すんだろう」という投げ掛けには、そうね、考えてみたくなる。

 

そうだなぁ徹底的に植物目線のみで語られる脚本演出とか面白かったかもしれないよね。我々が普通に見ると不条理に思えてしまうみたいな。

盆栽が人間寄りになってるという発想は面白いなー。

 

あ、ブリリア1階最後列だったけど通路席だから視界良好でノーストレスだった。映像全景を見れて良かったんじゃないかな。シャラシャラカーテンに映した映像は奥行に立体感が出て森みたいで綺麗だった。キャストが植物の時はあれをかき分けて出てくるっていうのも良かった。そうそう、カテコ2回目はみんなそこから登場して植物役でのご挨拶になってて楽しかったな。1階後方は段差がちゃんとあってヘタな真ん中あたりよりもリスクが少ないかも。音響はだいぶ手を加えてるみたいだしね。サラウンド感は、まぁ若干?

次回は成河さんのあのシーンが近い上手前方だわドキドキ😅

 

 

6/12 千穐楽

今日はG列上手サイド、とても観やすい良いお席で満足であった。

あ、プロジェクションマッピングだけは後方正面からの方が1枚スクリーンに見えてきれいだったわね(シャラシャラカーテンは意外と大きく奥行きをずらしながら並べてあるのでサイドからだと隙間が生じる)。あぁ音響ももしかしたら台詞がちょっとくぐもって聴き取りづらい時があったかも。

 

メタセコイア成河さんの指先の表情まで堪能できたし、エロスカイプシーンも近くてドキドキした(牛柄のヘンなパジャマw)😆

お花様やたーこさんだけじゃないなみんなのレーテル層に呑み込まれそうな近距離でドラマを浴びてしまいましたけど、うーんやっぱり…子どもにあまりにも酷なことを負わせるこの物語は好きくない。

 

植物役と人間役の「関係があったりなかったりする」部分を今日は特に面白く感じたな。セコイアと父とか。お花様の二役も。役者たちの中でも初日よりその感覚が強くなってたんじゃないだろうか。

 

カテコに演出の一色さんが現れて言ってたけど、え?ケイの訪れは平和なのか???

 

セコイアの成河さんの身体が美しいのをとにかく満喫した。そうそう、裾をヒラッと持つ指先は表情があるけど、セコイアだから体幹はしっかり直立してるし衣装が着物みたいな合せ襟だったので肩の辺りがすごくフマっぽかったんだよね!ルイの重さに耐えてる(顔には出ないけど頑張ってるように見えたよねでも折れちゃう😢)ところも凄い身体表現だったし、強風に揺れてる様子も良かった🌲

また来月そういうの?がさい芸で見れるのかなーって楽しみになったよ❤️

serialnumber『Secret War -ひみつせん-』

登戸研究所の話、731部隊の話は劇チョコ『遺産』が強烈だったし、あの時も彼らは決してマッドサイエンティストなどではなく…という言及はされていたし、女性タイピストの視点とか後世に取材する記者の視点とかってまぁよくある語り方だよね…みたいな、わりと引いた感じで序盤は眺めていたんだけど。

 

若い市原と桑沢それぞれの実験結果報告のシーンで、南京で人体実験をしてきた桑沢を演じる宮崎秋人くんが目にいっぱいの涙を溜めて真っ青な顔でホント壊れそうなのを見たところからググッと惹き込まれてしまったよね。

釜山での牛疫実験を報告する市原と対になる形で、牛と人間が実験動物として同等に語られていると見えたのはとてもショッキングだった。

 

その前に、三浦透子ちゃん演じるタイピスト琴江の「私たちが我慢したってしなくたって勝つ時は勝つし負ける時は負ける」という台詞は好きだわーと思ったよ。物事の因果関係をちゃんと冷静に見れる、ヘンに過剰な物語を作り出さない理系脳ナイスだな!って。

 

「女性」というトピックも込められていたのは興味深かった。女性は銃後を守るしかない、情報も機会も与えられない、個人の興味や適性などは問題にされない時代(今だって果たしてどうかね)。「私たちは銃が見えるくらいのところにいるでしょ」と言う古川さん。もっと機会の与えられていない女性たちのことを考えたら私たちが頑張らなきゃ!みたいなことを言ってた。「でもどこまで行ったって銃なんて見えなければいいのにとも思う」とも言ってたね。

遥子が言ってたパチンコの負け率の男女差のデータは面白い。"男の沽券"とかってマジ厄介。これも男に限らないと思うけど。劇チョコ『帰還不能点』も思い出したわ。

あぁ「環境に優しいプラスチック」の話もしてたね。そうなんだよな人間社会って、後戻りはできない。アフトで日野氏が話されていた原発の問題なども正にそれだ。

 

戦争の予兆の一つとして「作家の言葉が勇ましくなる」というのが挙げられていてゾッとしたな。そういうのに知らず知らず蝕まれていくの怖い怖い。

 

王さんはてっきり桑沢かと思ってたら、ヒャッ!首括っちゃった😨ここの秋人くんの芝居も凄かったなぁ。秋人くんすごくキツイ役で大変だと思う。「前線に送られている同世代たちにお前の良心の呵責などを語ることができるのか」とか言われてキツイよなぁ。

カテコでは笑顔が見れてホッとした。大谷さん柔らかいお顔で秋人くんとしっかり目を合わせて迎え入れてくれるの優しいね。

 

坂本慶介くん演じる市原はとても誠実で素直でリベラルで快活で魅力的な人だった。言われてみれば大谷さんの王さんの纏う空気と繋がるわ。

 

琴江と市原は人間として共鳴し惹かれ合うものがあったというのが、透子ちゃんと坂本くんの佇まいからよく伝わってくる。

人体実験の話を立ち聞きしてしまい動転している琴江に、市原は「必要だよ」と言って代用コーヒーの話をしたね。これが彼女の気持ちを上向きにするって分かってた。

科学に対して2種類の「よく眠れない」(苦悩と興奮)が実感としてわかる、というふたり。

お互い"男女である"という社会通念(相手への気遣いも含めて)も持っていたから近づくことなく離れてしまったね。

最高の伴侶になれたかもしれないのに。

後にその想いを綴った市原の"恋文"

それが恋文であると分かる遥子。

そう言えば、遥子と王さんは最初から決して刺々しい雰囲気にはならない。遥子は彼が祖母と心を同じくした市原であると確信していただろうが、王さんは突然やって来たジャーナリストをもっと警戒したり邪険にしたって良かったのだ。年齢や過酷な経験を経ても陰鬱になったり偏屈になったりせず、元来のオープンマインドを失っていなかったんだね。

あゝカテコで大谷さんが秋人くんへ向ける笑顔は、市原として旧友と再会できた喜びでもあるのかな🥹

 

「恐いから知りたい/恐いから遠去けたい」という台詞もあったな。

そういう、なんかこう、私の中のセンサーに掛かる台詞たちがたくさん。

 

「撃たれて死ぬ人たちは自分が撃たれるとは最後の最後まで思わないんでしょうね」と言ったのは確か琴江だったと思うけど、現在まで"秘密戦"は続いているのだと王さんが遥子に語る傍から、後ろのテレビ画面の向こうで9.11テロが。

そして今現在も戦争している国がある。

軍備、戦争のための準備はどの国でもずっと怠りなく行われている訳だから、戦争はいつだって始めることは可能。始めまいとする意志だけが砦なのか。

 

科学に惹かれその果ての恐ろしさまで自覚した上で今はそんな自分だからこそ担える役割がある筈とジャーナリストの道を選んでいる遥子を、市原は嬉しく眩しく見つめただろう…そこに琴江を重ねて。

次世代を、子どもを育てるということに希望を思ったりもするね。

古川さんやユキちゃんは戦後どのような人生を送ったのだろうか。

 

松村武さんが演じた温かい人間味のある判戸さんも、森下亮さんの明るいオタク研究者山喜も良いキャラだった。

あ、夏ポテトごちそうさまでした!

 

 

『パンドラの鐘』初日

99年蜷川さん野田さんの競演が"事件"とされた作品だそうで、この度は杉原邦生さん演出により、NINAGAWA MEMORIALと銘打ちコクーンにて。

 

ん〜野田戯曲やね。言葉遊び的なものも入った台詞たちのリズム感正直わたしはこれ好きなのかどうかわからないな。もっと気持ち良くカッコよくテンポよく聴かせてくれたら好き!って思えるかもしれない。今日のところはまだまだ全体がキュッとなってないと言うか、流れがプツプツしてると言うかなんだろう、私が乗り切れなかっただけか?

モチーフの断片が最後にグワッと繋がっていく感じも野田的と言えるのかしら。これも力技と言えば力技だから、なんかもっと有無を言わせぬ持ってかれ方をされたい。

 

野田台詞がいちばん馴染んでると思ったのが前田あっちゃんだったなースゴイ。あっちゃんの台詞・芝居は心地よくてずっと聴いてたい・観てたいと思った。とてもチャーミングだったし、あんなエキセントリックな役なのに説得力があった。複雑さや深みさえ感じさせる。

白石加代子さんはまぁ、存在が凄いよね。出てくるだけで野田さんの物語世界。でも残念ながら台詞はもたついてしまうところも多くて。フェイクスピアの時も特に調子悪い日もあったようだしねぇ心配。

玲央さんはそんな白石さんとの掛け合いが多いからフルスロットルになれないんじゃないかなぁ。もっとがっぷり四つになれる日もあることを期待。強く硬質にするところはガツンとやってるからそれは好物だし、ビジュアル良き!

わーヒイバアは野田さんがやってたのかそれ観たいじゃん!野田さんヒイバアと玲央さんハンニバル絡んでみてほしいじゃん!

声の響きと口跡は玲央さんと亀蔵さんが圧倒的だった。亀蔵さん狂王の佇まい良かったなぁ流石。

 

蜷川ハッチ絶対開けるだろと思ってたけどやっぱり最後に開けたね。オマージュだよね。

街の雑踏の中でポツンと誰にも顧みられず忘れ去られているようなミズヲ。

今日の天候によって、暗闇のなか地に倒れたミズヲに雨が打ちつけているような画にもなったのか。

あるいは、灼けた大地を優しく潤す恵みの雨かな。

ミズヲの名前の意味がわかった時にはハッとしたな。

そっか野田さんて長崎生まれなんだ。

 

鐘が🔔ではなく道成寺の鐘なのは邦生さん演出なの?野田さんが大英博物館で得たインスピレーションの時から道成寺のイメージはあったんでしょ?ファットマンの形との繋がりから言っても。野田版ではきっとそうだったんだろうな。チラッと舞台写真を見た蜷川版では🔔だったみたい。あ、でも今回も劇中の鐘の音は西洋の教会っぽい気がしたけど。あぁ浦上天主堂の鐘の音か。

開場時にコクーンの機構丸見えな状態だったのには『プレイタイム』思い出してテンション上がったよ。4本の柱は能舞台を想起させるものなのか。うん、死者の声を聴く話。

印象的な演出…天井からザッと落とした紅白幕で壁全体が覆われた華やかさキッチュさとか、ヒメ女が娘道成寺のように乗った鐘が吊り上げられていくのとか、全体が白黒になっちゃう照明とか、閃光と振動で原爆を表したりとか、歌舞伎っぽい音曲を使ったりもしてたな。そうだ、ちっちゃいピンスポが床にいっぱい蠢くのでアッと思ったけどやはり照明はオレピュラと同じ高田政義さんだった。美術の金井勇一郎さんは蜷川作品をよく担当してた方なんだね。音楽はm-floの☆Taku Takahashiさん、王の葬式の時の曲がポップで愉しい。

 

演出家も次世代を担っていく人だし、初舞台の成田凌くん(がんばってた)と瑞々しいヒロイン葵わかなちゃんを起用して若い・舞台観に来るのは初めてというお客さんも呼んで、そうそういつまでも蜷川だ野田だと祀り上げられる状況では早くなくなった方がいいんじゃないかな。カテコはスタオベになって白石さんが呼び込む形で野田さんまでステージに上げられてなかなかの熱気と高揚に溢れたけど、この空気を作ってるのはたぶん蜷川さん野田さんを観てきてる世代の客たちとか、憧れを抱いてる玄人観客たちなんだよな。特に思い入れのない人たち(私自身もそうです)はこの感じが好きか嫌いか自分で判断すればいいし、もっと好きなもの・カッコイイと思うものに金を払っていけばいい。初日のカテコは客席ポカーンみたいな雰囲気も素敵だと思うんだよ。

レガシィを受け取ることは邦生さんからも佐助くんや時生くん(アングラサラブレッドとツイッターで見かけて笑)からも感じられるし、考えてみればこの物語も古の声を聴くという話だけれども。未来のために、だよね。

 

また観に行くよ。もっと今ここに立ち上がっているものとして観れることを期待する。

 

あ、そうそう「女王」をジョウオウみたいに発音するのって気になっちゃうんだけど。主演の2人含め気になる時があったんだよなー。へぇでもこれって慣用とされつつあるんだね知らなかった!

 

あら、過去の『ザ・キャラクター』視た時のメモを読み返すと、今回わたし野田台詞の回し方に満足してないんだなっていうのがよく分かるわw

そうだよねぇシェイクスピアみたいな感覚な筈なんだよね。

 

気になる言葉いろいろ

焼け跡の蛇口には『水の駅』って関係あるのかな?と思った。

埋める王の古墳に大勢の奴隷が埋められたって子供の頃に学研マンガが何かで見てからめちゃくちゃ印象に残ってんのよね。

ボランティア

化けて出てこい!

ドの音をとかってヒメ女とミズヲの会話楽しかったね。うん、若い俳優なのいいよな。

ミズヲはみんな死に絶えて誰も居なくなるのがいいって言ってたけどどういうことなんだろう?

『貴婦人の来訪』

6/4に観劇。

 

ひぇー容赦なかった。グッサグサやられた。ダークファンタジー?怖い童話?半端ないエグさブラックさに呆然。

 

秋山菜津子さんのクレールが圧巻。

こーろされたーって死なないわっ

頭グルグルしてるしかも長調になり短調になり延々脳内ループ

えっ!この曲秋山さんがご自分で作られたんですか!?もしかして戯曲に「殺されても死なないような感じ」とかってクレールについてト書きがあるのかな。

この歌だけでなく、音楽がすごく効いてたなー。ラストの合唱団には戦慄した。ギターも、何か変な言い方だけど完璧な劇伴になっていない感じがして良かった。

 

街のみんながどんどん黄色になってく恐怖。

そっかぁ5兆が分配されると思ったらなるほどそうなるんだな。1人当たり5億くらい支給されるのかな。あ、これも単位を付けない翻訳のやり方?

 

津田さんの先生やべぇ。教師と医者は知性を砦にできるのか?と思ったらやっぱりダメでむしろ変わり身・理論武装・突っ走り方がヤバかった。政治家や警察がやべぇのは分かりきってるけど。神父さんは「人間は弱いものだ」と言ってイルを遠く見えない所へやろうとした(カトリック的!)。最後に手を汚す先頭を切らされるのは体操選手なんだな。

 

演出・舞台美術好きだわー楽しい。敢えて日本語の看板類が面白い。そっか五戸さんあの『どん底』の演出家だ!衣装の効果も凄い。黄色いもの着て行ってなくて良かったわ。

戯曲が凄いのか演出が凄いのか…この寓話み・ダークファンタジーみ・作り物っぽさ?は、演出によるところが大きいかも。

 

そう言えば死刑が行われた場所って劇場だったよね。「人生は真剣、芸術は豊かさ」みたいな言葉(うろ覚えだけど)が掲げてある。

(6/9舞台写真で確認して加筆:「人生は真剣、芸術は活力」でした。)

 

走る列車。資本主義とか社会のシステム。降りられない列車だ。

 

ヒューマニズムとか、ヨーロッパ的なとか、すごい皮肉。

 

クレールはそんなに復讐に燃えてる!というふうにも見えないんだよな。なんでだろ。とにかくチャーミング。醜く憐れな感じがしないからかな。

ギュレンがどうなっていくか、クレールは全てを見透かしていた(心臓麻痺の診断まで)。それを超然と見てた。事態は分かりきっている結果へ向けて粛々と進んでいった。彼女は既に恨み憎しみ怒りなどは通り越して置いてきてしまっているようだった。もう人間の域にいない(殺されたって死なない)。神とか摂理とか?そういう存在に思えた。あくまで彼女はこの物語の装置であって、同情したり心情に寄り添うことを拒絶(彼女ではなく作者によって)されているような。

 

そう、クレールが強い憎しみ・復讐心であの結果を成し遂げたと考えるよりも、自然な成り行きでああなったよね〜と思う方がずっと怖い。

 

相島さんのイルは引きこもって考えてるうちに何かを悟った…と言うか、彼もこのシステムに取り込まれたのか。でも外から見る視点も持ったままではあるからツライ。

家族がなぁ特に葛藤とかする感じもなく黄色くなっていくんだよないやぁ当然そうなりますよねって言われてるようでめちゃめちゃ怖い。

 

クレールはいわゆる復讐劇の主人公な描かれ方では決してないと思うし、イルやその家族も「物語なら通常このように描かれる筈だ」という予想・期待・典型どおりには敢えてしない、観客に肩透かしを喰わせ予定調和などは生じさせないことを狙っているような気がする。

そう言えば先生がクレールに対して「あなたはメディアのようだ」みたいなことを言った時クレールは「え〜全然そんなんじゃないんですけど〜」みたいな顔をしてた。そういう類型化できないことに直面した時いちばん打撃を受けてしまうのは知識人なのかもしれないよね。

 

観ている間じゅう「これあなた方が現実社会について考えるための演劇という装置ですよ物語に浸るなんて許さねぇ」と言われてるようだった。ブレヒト的っていうの?

 

パンフの配役表「来訪する人たち」「訪問される人たち」「その他の人たち」「煩わしい人たち」ってなってるの面白い。

判決のくだりのテイク2をやるの馬鹿馬鹿しいの極みだったけど、「煩わしい人たち」とそれに煩わされてしまう人たちへの批判かな。

作者デュレンマットについての解説や特に亀田達也氏の寄稿は大いに作品理解の助けになるし、シリーズ3作のチラシビジュアルの詳細解説ページもあったからパンフは買って正解だった。

社会が全体主義に染まっていく様子を描いた作品として戦後のドイツでヒットした本作は、ソ連でも資本主義を揶揄する芝居としてウケていたらしい。

普遍的に、人間社会とはこのようにして変貌するもんだってことだ。うん、我々はそのことをよく知っているよ。だからこの劇を観て怖くてたまらない。