J’aime le théâtre♡

観劇日記。

世田パブ『ハムレット』

3/10に観劇。

 

「生きてるの?死んでるの。」

「死んでるの?生きてるの!」

 

冒頭ダラっと寝転んでたハムレットのように、"死んでるように生きてる"こと。

死んだハムレットが星になった、"肉体は亡びてもずっと生き続ける"みたいなこと?

 

「なるようになれ」

"生き切った"ということなの?

 

昨年のリーディング公演も観て楽しみにしていた裕基くんハムレット、せっかく若いんだからもっともっと彼自身の言葉になった台詞を聴きたいなーと思っちゃったのはキノカブ桜姫のせいかな。

 

爽子ちゃんのオフィーリアは清らかさも狂気も圧巻だった。そりゃお兄ちゃんああなっちゃうよなーって納得できちゃう。お衣装も素敵だし似合ってた。

圭人くんレアティーズすごい優しいお兄ちゃん。村田さんのポローニアスは愛すべきオヤジだし(リーディングの時の吉見さんも大好きだったけど!)、あの一家の仲良しぶりは微笑ましかっただけに後がツライよね。

 

世田パブ名物"最沈下"の舞台面は客席と地続き。

ホレイシオがこちらから私たちと同じように舞台上を見てたり(銀縁眼鏡の采澤さんホレイシオビジュアルがどストライク過ぎて近くに立たれるとドキドキしてまう♡)ノルウェー軍が駆け抜けて行ったり、客席もたくさん使う演出だった。

舞台奥の台上になった所(子午線では影身が立ってた所!)に出てくるのは全て妄想とかイメージの中のものなんだよね。父王の亡霊(これが萬斎さんの謡なのは実に好い!)もそうだし、クローディアスとガートルードのイチャイチャとか、哀しげに舞うオフィーリアとか。あ、ラストの宇宙ハムレットもそうか。

 

やっぱここでまた子午線メンバーに会えたの嬉しい。

遠山くん喋らせてもらえないバナードーだったり、旅の一座(地球座!)女方だったり、可愛くていちいち目を引くよー。

國太郎さんの男女早替り芝居は流石だったけど、これに遠山くんがツケを打ってたりして大臣殿父子を思い出しちゃったよねー。

フォーティンブラスは能登守松浦海之介くん!凛々しい武人が本当に良く似合う。

森永くんがギルデンスターンね!リーディングの時の、御大将大好き四郎兵衛っぽいホレイシオもキュートだったけどね。

月崎さん村田さんの墓掘り劇場には思わず拍手。

 

萬斎さんクローディアスはガートルードのことめっちゃ好きよね。罪の意識すごい。苦悩の人だなぁ。そんなに苦悩するんなら王位簒奪なんてしなきゃ良かったじゃんと思っちゃう。

あの祈りのシーンはけっこう印象的なんだけど、ハムレットもさ、父王は懺悔もせずに死んじゃったから可哀想だとか、クローディアスを祈りの最中に殺したら救われちゃうから復讐にならないとか、なーんかキリスト教的通念で勝手に苦しんでるとこあるよね。

 

ガートルードは手紙(クローディアスが父王を殺したのだということと、ハムレット殺害を企てたことが書いてあったのかな?)を読んでそこから葛藤が始まったことが明らかにわかったけど、それって他のプロダクションでもそうだったっけ?

 

剣の試合のシーンは迫力すごかったなー裕基くん圭人くんブラボー。

でも手紙の件があったからガートルードの表情や動向がめっちゃ気になって見てしまったわ。

クローディアス死際もね、ガートルード大好きで切なかったよね。彼女の気持ちを思って、抱きついて死に絶えることは遠慮したのかな。(まぁ単純に覆い被さるとその後若村さんに体重が掛かって大変だからかもしれないけどね)

 

屍だらけな悲劇の余韻からなかなか抜けられないカテコも、2度目には地球座のカーニバル笛で楽しくしてくれて、笑顔で帰らせてくれる。

 

ここまでの文章にも端々に出てると思うけど、私は『ハムレット』がちょっと苦手。

青い苦悩に延々と(長っがい独白で!)付き合わされてウンザリしてきちゃうから。

やっぱ復讐とか仇討ちのために生きるってアホらし!と思っちゃうんだよな。そんなことに自分の人生を費やすなんて、そんなことが"生きる意味"になるなんてまっぴら!勝手に過剰に苦しんでいるように思えて、なんでその外に逃げないんだろう、ってイラッとする。ポローニアス一家まで巻き込んで滅茶苦茶にしてしまうしさ。

タガが外れちゃった世界ですよそんなん今に始まったことじゃないしあなたが第一発見者でもないわ。破滅を招くような"高潔さ"が美徳とされるってどうなの?ってとこの方が今わたしは演劇で言って欲しいのかもしれない。

 

で、今回もやっぱりウンザリはしたんだけれどもw、役者のリアルを考え合わせることで面白さが感じられてくる。

今回若いキャスト3人が3人とも、親や祖父母と同じ職業に就き、大きな後姿を追い掛けることとか継承することとか背負うこととか実体験している人たちであるというのは意図的ですよね。

萬斎さんが若い頃からすごく悩んだりいろんなこと考えながら伝統芸能の道を歩んできたこと、それをまた次世代に託していくこと、託すってまた難しいことですよね、とかも思う。

家とか血とかの話はまぁ私などには分からないくらいこの人たちにとっては切実な案件なのだろうし、そう言われればそういう人もたくさんいるのかぁとも思えるし、"逃げられない""出て行けない"ことにイライラするというのは私自身が身につまされているからではないか、例えばこの行き詰まった日本社会とかにとも思えてくるわね。

しかし、裕基くん圭人くん両方の初舞台父子共演で母親役だったのが若村さんっていうのも凄いなー。

 

思いっ切りクローディアスやガートルード目線で観るのも面白いかもなぁ。でもたぶん敢えてそのようには導かない萬斎さんの力加減があるような気がする。思いのほか、萬斎さーんってならなかったもの。

なるようになれ、あとは託す、ってことなのかな。沈黙して。口出さずに。ちゃんと新しいものを生み出すために。

あゝ考えたら、これって王朝の終末の話なんだよな。みんな死んで、そこには新しい人がやって来て新しい世界を打ち建てる。それはマクロな目で見れば忌むべきことではなく、そっか、それこそ非情の相。嗚呼!