ロームシアター京都にて観納め。
京都駅に降り立ち、なんとなく気分で、鴨川沿いの河原を七条から四条まで歩いてみた。南座が思ってた以上にホントに土手を上がってすぐだったのでビックリしたりして。
明治の京都市民によって創建された平安神宮はじめ立派な美術館や図書館などが建ち並ぶ、京都の文化都市たる気概を示しているような一帯に劇場がある。
サウスホール入ってみると結構大きいし(2階席もある)舞台の間口があうるすぽっとよりだいぶ広い。舞台上"見物エリア"の外側にも字幕が設置されていた。
どうやら豊橋公演のアフタートークで「あそこに集まって劇をしているのは一体どういう人たちなのか」という話題が出たらしく、そう言えばそれってあんまり考えたことなかったなーと思って。
そんな頭もあったから、これまで以上に見物中の皆さんの様子や表情に目が行ったな。
安部さん演じる彼女は今日もつよつよだった。
彼女だけホントずっと孤独。他のみんなと違って、楽しそうにしたり笑顔になったりすることが一度もない。大向うも一人だけ掛けないし。
安部さんが東京と豊橋の合間に「日本のヤバい女の子」(はらだ有彩著)という本を読み返しているとツイートされていて、興味深かったので私も読みました。古典の物語に登場する女性たちを現代女性の率直な且つ個人としてリスペクトする眼差しで捉えたこの本には「物語を無効化する」なんていうハッとするワードも出てきて、安部さん演じる彼女はまさにこの目線でそこに居るんだろうな、って思った。
ずっとひとりで不満気に揺れていた彼女が最後に桜姫役の彼女の所へ駆け寄って行ったのってちょっと感動的で。都鳥を後ろへ高々と放り投げた、その描いた大きな弧がなんだかめっちゃカッコよかったよ。
そう、静河さん演じる桜姫役の彼女は「女の分際で」と言われて以降、あれ?空気が変わったような気がして、もしかしてDV被害の経験者だったりするのかもしれないな…とかも思った。
他の人の殺陣シーンを前のめりに観ていた権助役の彼は、過去に傷害事件を起こしたこともあるが今は更生して…というような人かもしれない。
それを言ったら、青トカゲを煎じるシーンが妙に印象に残ったんだけど、あそこは残月と長浦ですごくたっぷり時間も取ってるし、固唾を飲んで観ている見物のみんなの集中が凄まじくて。犯罪傾向のある人たちなの?…いや、誰しもそういう衝動を眠らせているっていうことかな…なんて思った。
柝の音と共に幕が閉まるとこで拍手になったの、私が観たうちでは初めてだったな。
今日の客席(ホントの客席ね)は都鳥を投げ捨てたことに対するハレルヤを共有してる率が高かったような感じがした。なんとなくだけど。
荒木さんの生ダブミックスやっぱり良い。欠席だった回と比べて音数が断然多かったように思う。
あのお菓子テーブルや休憩明けの演出もすごく良かったけどねー。今日は見物エリアの所々に菓子盆があってみんな思い思いに食べてたけど。
奇抜なファッションのちょっとアウトローっぽい人たちが催す斬新な現代劇(賛否もいろいろ)…って、まさしく南北の時代の歌舞伎がそうだったんじゃないかね!
郡司正勝著「鶴屋南北 かぶきが生んだ無教養の表現主義」によれば、当時の芝居関係者は「士農工商という身分社会の四民から除外され」ており「非人頭弾左衛門の支配を受けねばならなかった」「開き直れば河原者」だという記述もあった。
現代の私たちが伝統芸能として観るのとは違う、江戸時代の人たちが歌舞伎を観ていた感覚を体験できるように"翻訳"してくれたんだなー。台詞の言葉だけでなくいろんな要素を。
京都で観れたことも含めて、とっても面白い体験になったー🌸