J’aime le théâtre♡

観劇日記。

風姿花伝プロデュース『ダウト〜疑いについての寓話』

プレビュー初日。


ひゃー『ザ・ドクター』に続き、"正しさ"ってひとつじゃないよねぇという話だったな。

ある疑い=信念・信条だよね。

他人の正しさへの疑いが自分の正しさになってたり?

他を疑うこと・否定することが、自分の正しさ…"何かに賭ける"時の裏付けとなる?

てか、何かを疑う・否定することでしか正しさなんて見つけられない?

亀ちゃんフリン神父は冒頭で、シスター那須さん校長はラストに「疑いを持ってます」と言ってた。


『ザ・ドクター』のルースは自分の正しさを失ってボロボロになってしまったけど、那須さん演じるシスター校長は凄かったねぇ。宗教とか規律とか確固たるものを持っている強さ。ラクな方に流れないようにしてる。

あぁでもこれ60年代の話"正しさ"に多様性を認めねば」というのがタテマエになっていく前の時代なのか。

冒頭の亀ちゃん神父様の説教で「みんなで共有した困難」みたいな話してたよね(コロナ禍のことも思った)。もうこの説教の時からなんか胡散臭いなーという目線にはなっちゃう。こちらにめっちゃいい笑顔向けてくるんだけどさ。

続くシスター校長と若いシスター伊勢佳世さんジェームスの遣り取りで、校長の厳格さは滑稽にも見える。開演前に絵梨子さんの「どうか温かく観てください」という可愛い前説があったから(タジマ思い出すよねー)、お客さんから笑いが出やすかったかもね。私も那須さんの「男の子は砂利と煤とタールで出来てる」という台詞で吹き出しちゃった🤣

聖職者って時点で色眼鏡で見ちゃう(劇でわざわざ聖職者を出してくるってねぇ)んだけど、子どもたちと接してる時のフリン神父は熱心で理解もある良い先生に見えるんだよなー(これは割と私自身の子供時代の経験に基づく)。ここも私たちに向かって語りかけられてるから思わず笑顔になっちゃう。フリン神父はシスタージェームスにも優しかったよ。

でも、シスターたちと神父のミーティングの時あからさま且つ無意識な男性優位意識が見えて「うっ」てなる。当然の如く椅子に座っちゃったり紅茶が淹れられるのを待ってたりね。

シスター校長の経歴夫を亡くした(ナチの犠牲)後にシスターになったのね。生きる手段だったのかもしれないとか、ものすごい男性不信があるようだから結婚生活は幸せなものではなかったのかもしれないとか、それこそ強く生きるための拠り所として固い規範を持ちたかったのかもしれないとか、崩れること・歯止めが効かなくなってしまうことをめっちゃ恐れてる人なのかなーとか、あそこまで男性を意識するのは逆になびきそうな自分を抑えているからかなとか、もしかして昔生きるために売春婦をやってたりとかした?とか、いろいろ想像しちゃう。神を狂信してるって感じにはあまり見えないね。

校長とフリン神父どちらの主張が真実かなんて分からないよ。ただ私は、息子が安寧に過ごせることを第一に考える母親(青年座津田真澄さん)の気持ちにやっぱ寄り添っちゃうし、校長の言動は嫌いだなーと思うし、どちらかと言えばフリン神父にはなんとなく好感を持ってしまう。所詮は印象とか好き嫌いレベルだよなー。


役者4人とも素晴らしく達者で、至近距離だったし、なんか芝居を観たと言うよりむしろ「今日さぁ強烈な人に会ってさー」って感じ。"人間観察をした"感じね。濃密な体験ができて満足度高し。しっかり積み上がる会話劇、いいよなー。


この劇全体が何かの寓話なの?「疑い」についての?

事実を話しても上手く表せない(余計な要素が含まれちゃう)し混乱を招いてしまうから寓話にするんだ、ってフリン神父が言ってたよね。うん、現実は物語と違って上手くできてない。


小川絵梨子×亀田佳明 風姿花伝プロデュースvol.8『ダウト〜疑いについての寓話』を語る〜世の中わからないことばかり。それに自分はどう向き合うのか、という戯曲 | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス

「私は疑いを持っています」とは、つまり「(いろんな考え方や立場があるのは承知の上で)私はこの立場に立っています」と同義ってことかな。

他への寛容度合いにはレンジがありそうだけどね。