J’aime le théâtre♡

観劇日記。

『森 フォレ』3回目

えーなんか感動しちゃった。初めてスタオベしたわ。

今日は2B列センターちょい上手寄りから。ミザンス味わえるし近いしちょうどいいな。この芝居、ほんとミザンスが味わいどころだよなー!


僕がダグラス。そう、僕だ。

ルーの頬()に触れて、お互いに触れ合うことで、確かに名乗ることができた。「古生物学者のダグラスです」じゃなくて。

僕だ、って、自分を確認できたんだ。自分ひとりではできなかった。


ラスト、母たちから離れ円周上を辿ったルーと奥から斜めに歩いて現れたダグラスが円の奥端中央で向き合って見つめ合った(赤い紙吹雪)後、それぞれ前を向いて、歩き出して、暗転。

ふたりが出会って、向き合って、そしてこれから未来へ歩いて行くという、劇の超ダイジェストなのかも。


無かったことになりたくないよなーと思う人間の性(さが)として、子に、次世代に繋ぎたいという欲求、普通に腑に落ちちゃうよなって思った。特に戦時下とか森の中とかああいうどうしようもない膠着の中で。

今すぐ手に入れたい!ってオデットもルーも言ってたけど、今すぐ自分には手に入れられない時、次世代にそれを託したいと。

約束して!という言葉は縛ること・呪いになってしまうから(実際そうなってた)ダメだと思うんだけど、私が求めたものをあなたは手に入れられるように願ってる!とあぁそれがイコール娘への名づけなのね。自分が欲しかったものを娘の名前にするうーん、これも娘の立場から見るとともすれば呪いになるけど、その美しいもの(強いもの)を親は自分に願ってくれた、つまり自分は愛されたのだと知ることを力にできれば。

()が◯◯、と名乗ることができた時が、それができるようになった時。その瞬間は誰の場合もいつも、他の誰かと向き合ってる時だったね。(リュスとルー、リュディヴィーヌとエドモン…)そうだよね、相手がいなければ名乗る必要なんてないもんね。

父はダグラスに、黒い川にも勇気を持って挑むことができる、そんな願いを込めて、そんな力を与えたのかな。


ダグラス魅力的に思えた。優しい。

ルーがダグラスを頼るようになったのをルーちゃんの声のトーンから感じたなぁ。ちょっとドキッとしちゃうような艶っぽさ。



上村さん岡健さん成河さんそして萬斎さんを迎えてのポストトーク。司会はこないだと同じ浅田さん。


ワークショップしながら出来上がったホンだから特有の難しさがあるって成河さん。ストーリー展開とかすごく力技なとこがあって、おいこれどうすんだよって役者泣かせだって。なるほどなー。


素だと言うに耐えないような台詞もあって、と岡健さん言ってた。ですよねー。


他人が優しい意識的に書かれてる。台詞の中にもあるんですよね「天使の手」だっけ?亀ちゃーんって成河さんw "手を差し伸べてくれる他人"の最たるものがダグラスなんだな。

でも肝心な時に居ないんだよねダグラス!これワークショップの時にダグラス役の俳優が遅刻とか不在だったんじゃないかなってw


縦軸昔から今へ受け継がれて成り立ってるものがある

横軸(時代とか社会とか)と繋がりながらだけど

縦軸とかいう話を伝統芸能の家に生まれた萬斎さんにされるとさ、あーそうだわなって思うね。


萬斎さんが口火を切り今日のトークに居た男性たちで「女性の話」だねー(子午線との比較もあって)という話になるのも思いのほか自然に受け取れたんだよな。ごく素直にそう思ってるんだろうなって。男の子から見て母親とか女性ってやっぱちょっと神秘と言うか神聖と言うかすげぇなって思うでしょ。いや普通に私だって子が産まれることってすげぇなって思うもん。何だかんだ、それはそうなんだろうなって思ったわ。


で、たぶんこれまでのお客さんの反応とか見てるんだと思うんだけど、産める産めないみたいな話(命の選別)には現代の感覚だと違和感を感じる、って上村さんが触れてくれた。でも戯曲にそれを敢えて入れてるのは何故かと考える、と。時代に見捨てられてきたことを言ってる、と。


ムワワドが、レバノンからフランスに入ろうとして拒否されカナダに行った、そのフランスから公演を依頼されて書いたホン。

ヨーロッパとかダグラスたちフランス人への批判的眼差しがある。


リュディヴィーヌがやってのけたことってまるで演劇人だなって、上村さんが!嗚呼!!


この目線で観れたから、あゝこの人たち花で飾った杭なんだわという気持ちで、物語を体現するために技術と情熱を真摯に注いでくれていることを尊いなぁと思いながら、さぁ祭りをしてくれ一緒に祭りをしようと私たち観客を頼ってくれてることも感じる(カテコに並んでスタオベを見る笑顔は嬉しそうだったな)、そんなふうに観てたから、3時間40分が楽しい旅だった。ずっと、いろんなとこに見所があると感じた。また観たいと思ってる。

客席からものすごくたくさんのものを感じ取りながら舞台上にいるということが僕たち役者はやめられなくてって成河さん。そんなこと言ってくれるのめちゃくちゃ嬉しいよ。一緒にやりましょう、祭り。


岡健の芝居いいよなぁ。"転生"がすごく良い。

岡健の役をハブにして異時空が同時に舞台上に乗ってる時、行き来する岡健のシームレスさが凄い。

サミュエルの去り際が最高にイケメン。


麻実さんやっぱりリュスはもちろんどの役も惹き込まれるし、依都美さんリュディヴィーヌ力強くて魅力的。エドモンの大鷹さんめちゃくちゃいいよなぁあぁでもアシルもアレクサンドルも良い。


エドガーの怒りとルーが重なる。獣。


語られるストーリーを聴いてる人・見てる人に注目してたら、また違う景色が見えて面白かったな。

受けの芝居を見たくなる・追いたくなるのはきっと良い芝居だね。

エドモンの語りを聴いてるリュディヴィーヌは大変だったよね。書類を見たルーも。

エメとルーが同じようにうなだれているシーンとかあったり。

ダグラスの反応も。


キリンは、高い視点で遠くを見渡すことができるイメージなのかな。森の外のこと、未来のこと。空。

うわっ、あと、進化論の自然淘汰を想起させる意味もある!?エドモンは淘汰されてしまった人だ。


この世界・宇宙の中で無かったことになりたくない、この世に生を受けた意味を見出そうとして足掻くんだなぁ人って。それはエゴかもしれないけど、どうしようもない性(さが)なんだと思う。必死に足掻いて、繋げようとする。なんだかんだ、動物・生物として組み込まれたプログラム。(森の動物とか描いてるあたりそういう考えもあるよね。レオニーがすごく動物的だったのとか)

繋げようとする必死さが凄くて、なんか感動しちゃったんだな。

このカンパニーに、あゝこの人たち「花で飾った杭」となることに身を投じてるなぁって思えたことも大きいけどね。リュディヴィーヌの行動はまさに演劇だって上村さん認識してて震えたし。そう言えば「想像力を継承する話」って言ってたよね。


国語の文章題で読んだ、友達のなんとかちゃんが死んだのには理由なんて無くてただ死んじゃったんだと思えるようになったことが救いになった話を思い出す。

意味とか理由とかなんて無くてただここに居て生きてる(そして死ぬ)って思うことと、

縦軸横軸ともにいろんな人や物事と関わった中で生きてるって思うこと、

相反してるけど両方あって、どちらの考えもある時には救いとなりある時には苦しさになるなぁ、って思った。