J’aime le théâtre♡

観劇日記。

ミュージカル『CROSS ROAD ~悪魔のヴァイオリニスト パガニーニ~』

うーんやっぱりミュージカルを作るのって難しいんだね。すごくたくさんのそれこそ「才能」が結集しないと傑作はなかなか出来ないんだろうな。

 

アッキーが茶目っ気のある悪魔アムドゥスキアスなのが面白かったし高音が綺麗で圧倒的歌唱だったのと、畠中さんがとにかくええ声だったのと、たーたんさんがアッキー悪魔をタジタジにするのが良かったのと、紗穂ちゃんのエリザ・ボナパルトがスケバンみたいでカッコ可愛いかったのと、アッキーと紗穂ちゃんのデュエットが声質合ってて良かったのと、ばっちの腰が細くて脚が長くてカーリーロングヘア(しっぽの時も♡)が眼福だったのと、戸井さんの楽日挨拶が熱くて(苦労の多いカンパニーだったからねぇ)グッときたのとって、まぁ楽しみどころはあったんだけど。

 

「十字路の悪魔」というのは面白いモチーフだなーと思ったんだよ。戸井さんも言ってたCasa Nostalgiaというのと、Encoraは印象に残ってる歌詞。(Encoraはメロディも綺麗でばっちの声にも合ってて印象に残る楽曲だった)

ここら辺の発想から、もっと違う、現代的な物語だって作れそうなのにね。原作/脚本/作詞/演出 藤沢文翁さん、作曲/音楽監督 村中俊之さんによるオリジナルミュージカルということでキャストも良かったし期待して観に行ったんだけど、なんだろなーせっかくオリジナルなのにあんまり新しい感じしないねって言うか。

楽曲は不安な気分にさせるものが多かったなぁ。パガニーニの演奏をダンスで表現するというのはなるほどね。

なんかちょっとアドリブ気味?で笑わせようとするのは中途半端で反応に困った。でもアッキーだけはマジメにヘンだから笑っちゃった(アムちゃん!?)w

 "音楽の悪魔"という存在がこれだけハマるのはアッキーだけよ。トート閣下みたいな帝王感と言うより、妖精みたいな座敷童子みたいな感じになるけど!

 

 

 

『パンドラの鐘』3回目

なんか今日、重く沁みちゃったんだよな。

空気とか狂気とか。

ミズヲとヒメ女のあどけなさも。

ふたりのシーンのピアノ曲が切なく美しかった。優しい雨音のような。花咲く丘に吹き渡る風のような。

 

どうにもこうにもあっちゃんタマキには強く惹かれてしまう。

タマキは"止められない探究心"なの?最初から目的は「悪魔の思いつき」で、オズたちを唆していたの?

帰国のシーンやっぱり大好き。騙していただけの悪い女にはどうしても見えない。日本の王の振舞いについて言及する重要な役割を担ってるあっちゃん凄いよ。

そっか、ピンカートン財団の真の目的は「悪魔の思いつき」を探し当て掘り出して解明することだったのかな。未亡人は当然その任務のために来ていた。タマキは母の補佐役だったけど、彼女の中には仕事とは別の、鐘の謎に迫っていきたいという抑えきれない探究心が生まれた。そしてヒメ女の想いに辿り着いたタマキは、鐘の秘密をアメリカに渡すことはしたくなかった筈だよ。オズを無理にでも連れて行くことをしなかったのはその判断もあったからだ。鐘の秘密はタマキが売り渡したのではなく、アメリカの優秀な人材によって解明されたんだと思う。そうなることもタマキは予測していたけど、最後の砦として日本の王の存在があると思ってた😔

 

侵略者ハンニバル。ヒメ女の国はカルタゴがモデルなんだな…丘、海賊、海軍力、軍事行動と植民で勢力を拡げようとするが大国ローマに負けやがて滅亡する。それはもちろん大戦前の日本と重なってもいる。長崎とカルタゴの風景は似ているのかもしれないね。

 

古代チームと現代チームがひとかたまりになるところの緊迫感すごい。

昨年?芸劇で上演された熊林版ではヒメ女とタマキが一人二役になっていたらしいけど、その発想もわかる気はする。

 

ミズヲって、古代から未来を覗き、あれを体験して帰ってきたの?

あゝそうか、ミズヲは、オズと同じように卓越した想像力を持った人なんだ。未来を想像する力。

オズの想像力は残念ながら過去にしか向かわなかった。自分を取り巻く現実やその未来のためにその能力を使うことはできなかった。

ミズヲは未来を見た。

ヒメ女にも未来が見えて、未来の敵の原爆開発を阻止し、未来の日本の王へ投げ掛けるための自らの振舞いを定めて、埋まったんだ。

 

声が届くかどうかっていう話にグサッときてるのかな。

「俺は届くに賭けますよ!」😭

ミズヲの遠い遠い明日である現在に立つ我々…今だに、空気を狂気と言うことを恐れ、勇気ある狂気を発揮することはできていないんじゃないか😔

 

 

『美しきものの伝説』

戯曲に惹かれて以来いつか上演を観たいと思っていたし、新劇系7劇団による「新劇交流プロジェクト」って企画がアツいよね。俳優座劇場の廊下にある先人たち(少し後の時代の方々だね)の肖像も今日は思わず立ち止まって眺めてしまったよ。

 

演劇と思想/政治/社会運動がコインの表裏のように一体であった時代の話だ。

 

民衆

クロポトキン大杉栄の翻訳、ロメン・ロォラン「民衆劇論」

生活に追われず知識を備え芸術を楽しむことのできる"民衆"をまず作らないと、って。

 

民衆を信じるか否かとか、民衆を発見したとか、民衆の中に入って行くとか、演劇人がそういう立場・視点であること自体、現代の演劇ファンにとっては違和感じゃん?そう感じない人たちもいるのかな?

まぁ「お客さんを信じる」とかっていう話は時々聞くけどねぇ。

 

そう言えば私この3日間で能歌舞伎新劇って観てるw

まぁ普段「新劇」と意識することはないよな。ここらへんは"老舗劇団"って見えてる。振り返ってみると私はこれらの劇団へは主に翻訳劇を観に行ってるかな。

文学座俳優座は今も「新劇」を標榜してるのか?社会運動色を持つ(民衆に働き掛ける)新劇の劇団として発足はしたのだろうけど。あ、四季もスタートはここだったんだね。

社会派ってこと?娯楽・商業ではなく芸術だっていうところ?

確かに組織形態や活動内容からまぁなんとなくそんな感じはするかな。

新国立とか公共劇場でやってるのも新劇ってことになるのかしら?

今はもちろん、新劇運動が始まった頃のように「民衆を教育・啓蒙する」みたいなことは言わないけど、「社会と繋がる」とかは言ってるよね。「社会の役に立つ」と言うこともある。これについてはコロナ禍でのいろいろを経て、役に立とうとすることって危険では?役に立つものしか存在しちゃいけないっておかしくない?と考えるようにもなっているけど。

それにつけても今日の客席あまりに年寄りばっかりで唖然とした。だいじょぶですか?

 

魅力的だったのは荒木真有美さん(俳優座)が演じた野枝。屈託なく、わけわかんない逞しさ。どんどん子ども産んでさ。

古谷隆さん(青年座)の学生久保も良かった。というか、抱月先生とのあのシーンが良かったのかな。あら「一本の杭」ってルソーの言葉なの?

いろんな人の独白シーンがある、みんなにスポットが当たる群像劇ね。狂言回しの突然坊は女優2人でやってて、そこだけ現代っぽく別時空の人に見えて面白かった。

 

大杉と野枝の最期(甘粕事件)は酷いんだよねぇ。そんなことへと向かって行くこの時代、"ベル・エポック"なんかじゃない。

怖いよ。今だってそうかもしれないから。 

貴婦人クレールの来訪のようなきっかけがあれば、人々/社会は容易にどうにでもなってしまう。

 

社会主義の理想に燃えロシア革命に沸き立っている彼らの姿は後世の我々の目には儚く遣る瀬なく映る。私には抱月先生の言う「二元の道」がやっぱりしっくりくるし、演劇はちゃんとしたビジネスであって欲しいと思っている。

でも日本の近代演劇はこういうところから始まって今に至るのだということを知るのは面白い。

 

今秋に流山児事務所でもこの戯曲が上演されるけど、こちらは演出家も若いし登場人物たちを"尊い先人たち"としてではなく"悩み足掻いていた若者たち"という描き方をしてくれるみたいなので期待する。

まぁその前にオーソドックスと言うか新劇の立場で上演されたものを観れたのはよかったかもね。新劇という概念を認識して、改めて現在の演劇シーンを見渡すことにもなった。若い劇団員たちはどう感じてるんだろうね。「新劇はどこへ向かうのか」とたぶん出演者のどなたかがツイートしてたけど、自劇団のルーツを意識し現状も見た上で、さて、と思うわな。

私はこれからもいろいろ観るぞー!何だって観るぞー!って思ってるよ😊

 

 

六月大歌舞伎 第一部

どうしたって頭ん中に♪ちょは〜っかいは いない〜けぇどって鳴っちゃうよなー😅とか思いながらゆるゆると『猪八戒と言うかむしろけんけんの悟空を観るつもりで行ったけど、おっとその前に『菅原伝授手習鑑』だ。


この「車引」がなんか予想外に面白くて!

荒事の梅王丸と美しい桜丸の並びが何だか良いし、衣装の色彩(紫チェックや1枚脱いだ時の鮮やかな花模様地)とか舞台美術(梅の花かな?菅丞相が絡んだ話だもんね)も華やかだし、あのね、みんなポージングがいちいちカッコイイんだよね!脱いだ紫チェック部分を黒衣さんが後ろで持ってなびかせてるのとかサイコーでしょ!お花を背負わせてるみたいな効果を人力でやってんの!あと、あの草履の脱ぎ方真似してやってみたくなるーっ😆

浄瑠璃ボックスの中で歌ってる方がいて、役者が台詞を歌うところも多くてミュージカルみたい。

あ、壱太郎くんの踊り綺麗だなぁ。手をクロスする仕草かわいい。

梅王丸は声デカ!と思ったらやっぱみっくんか。すごいね圧倒的だね。赤い隈取り似合うなー。力強い跳び六方もカッコよかった。それにしても腰の刀3本長っ!w

駕籠から悪そうな人出てきたと思ったら猿之助さんだった。

色彩と身体の動きとで作り出される画がとても美しかったんだなー。後で演目紹介を見たら「歌舞伎の様式美を凝縮したひと幕」って書いてあったけど正にそんな感じ。なんだかすごく良いものを観た満足感があったのだった。

あーでもそっかこの後桜丸は切腹するし松王丸は寺子屋で我が子を犠牲にするし悲しい物語になっていくんだね😢


そして『猪八戒』たーのしかったーー!!

猿之助さん愛敬と身体能力全開!

特に少女の時、コミカルで茶目っ気たっぷりでずいぶん笑っちゃったよー。大王の盃に酒をちょこっとしか入れなかったのサイコーだったよな😂

舞台上の上手に竹本連中&囃子連中いらっしゃってこれも壮観。この演目は台詞も太夫の方が歌うんだね。そうだよね役者は踊ったりアクションで大変だもんな。

けんけん悟空たちも出てきての終盤はまーぁ畳み掛ける畳み掛ける!!客席もテンション爆上がりでカテコあるのかなって思うくらい拍手が続いてた!

初演以来90年ぶり?に上演されたらしいけど、いやこれ楽しいよ

けんけんも欄間から登場したりなっがい如意棒振り回して縦横無尽に走り回ってとぼけた演技も面白くて、猿之助のお兄さんと一緒な感じが楽しそうでイキイキしてた☺️あの少女パートけんけんが演じるのも観たいなーと思ったけど"澤瀉屋十種"だそうなのでそれはないのかな。



『パンドラの鐘』2回目

2回観終わって反芻して、ジワジワと「あ、このホン面白いな」と思っている。

 

鎮魂の鐘。その音色に魅せられる幼き女王。

「化けて出てこーい!」で鐘の上に和装で現れた姿はとても美しく神々しかった。あんなにあどけなくはしゃいでたヒメ女がって、このラストに向けて2時間積み上げてるんだなー。

 

ミズヲは、ライフストリームの中に還った命かな。そんな感じ。

みんな死に絶えて誰も居なくなればって、人間の営み(科学技術)は地球環境にとって害悪であるという視点か!

 

卓越した想像力で古代と繋がるオズ、でも現実世界には疎く、社会情勢にも興味がない。古代の声は届いたが、活かすことはできなかったんだ。残念。タマキもさぞもどかしく思っただろうな。

 

そうか、鐘は、パンドラの箱…"科学技術"のことなのか。光と災厄をもたらす。若いミズヲやヒメ女が惹かれて夢中になるのもよく分かる。

 

後ろが開いた外は晴れた昼間の忙しい渋谷。より一気に現実に引き戻される感。たまたま通り掛かった運送業者さん?がこちらに気づいてギョッとして逃げてたけど、そうよねビックリしますよね。そちらから見た光景を想像などしてみる。

 

ピンカートンのひ孫?の日米ハーフ(クォーターとか1/8では?父があの蝶々さんの息子の息子ってことだよね?)のタマキが「待ってるなんてバカ。死ぬなんてもっとバカ!オホホホホ」と、母に負けず高笑いで去って行く強さ、好きだよ。

 

そっか、パンドラの箱なら最後には希望が残ってるのか昭和の時はダメだったけど、きっとこの次は大丈夫、古代の声が届くはずっていう希望か。この声を一緒に劇場で聴いている人たちがいるから。耳を澄まして地に着けているミズヲと同じように。能舞台から死者の声を聴く。

 

鈴は金偏に命令だからイヤ!鐘は金偏にわらべ。その音は鈴みたいに直接刺さるのではなく、自由に立ちのぼるように飛んでいく、みたいなことを言ってたかな。音楽的な感覚を持ったヒメ女。

そんな鐘の音が未来に届くに賭ける、とミズヲは言う。

 

自分から意見を述べず「どう思う?」と尋ねて人に言わせる、カナクギ教授とヒイバア。上に立つ、狡い人の典型。

亀蔵さんの声は本当に素晴らしい。歌舞伎役者の発声ってなんか特別なんだろうか。

白石さん初日よりずっと調子良かったと思う。

 

ハンニバルって、どういう生い立ち・経歴の人なんだろう?ヒイバアの手下だけど、ヒメ女に思い入れはあると思う。武官として体制に尽くす男。最後はヒイバアに裏切られクーデターの汚名を被って退場。なんかグチャグチャになったけど、攻めてきた敵(未来)からの最後通牒にみんな結局逃げて居なくなっちゃったからね。滅びの前日。

 

「戦争の相手はいつも未来。でも始める時にはそれはわからない。そして未来には決して勝てない」ってヒメ女言ってた?ミズヲだったかな?これ、どういうことだろう?

 

あー戯曲読みたくなってきた。

読んだ!

 

そうだ、現代の玲央さんが言った「古代と現代の取引です。共に静かに暮らしましょう」って、なんかゾッとしたんだった。歴史修正主義だよな。

あ…どう生きたかなんて問題じゃない、どう死んだかが問題、みたいな話してたしてた。スリーピルバーグスを思い出したんだった。

 

空気とか勇気とか。狂気とか。

見て見ぬふりをする(うすうす気づいてるのに)、都合の悪い事実は隠そうとする、威勢の良い大本営発表ばかりする怖い怖い。

 

あぁ「戦争の相手はいつも未来、未来には決して勝てない」って話

旧体制がひっくり返され新体制にとって替わっていく、歴史の積み重なりのことか。旧いものは下に埋もれていく。

勝ったものが即ち"未来"だからね。未来には決して勝てないんだわ。

そっか、ヒメ女は自ら埋まることにしたのか。花咲く丘の美しい風景が焼かれることのないように。人間の作る体制なんて所詮はそうやってどんどん遷り替わっていくものだから。ヒトの繁栄など地球・宇宙の歴史のなかのひと時代に過ぎない。

人間は死に絶えて姿はなく、生命は鐘の音のように風に溶けている、究極的にはそれがあるべき世界の姿だとミズヲは思っていたし、ヒメ女もそれを理解し、惹かれた。王という仕事とは相容れない考えだけど。

そんなふうに考えて自ら埋まった王の存在は、後世の王・為政者にとっては消したいものだよな。

 

政治批判、社会批判、戦争責任、科学倫理、更には歴史観、生命観ものすごくいろんなものが散りばめられたエンタメ。それこそ、たくさんのカケラが埋まっているんだね。

ふわぁ野田さんやっぱすげぇんだなってなってる今。

何気なく見える遣り取りや言葉遊びみたいな台詞が後々テーマ的なところに収束されていくのもすげぇわ。

なんて言うかね、鮮やかな作劇。

まえがきやあとがきでは野田さんだいぶおちょけてる、照れ屋さんなんだな。

 

広げて散らかして遊んだところから観客もろともグワッと持ってきてみんなで劇のラストを迎える。そのためには役者の力も相当に必要な筈。まだまだ期待するよ!

 

 

 

『バイオーム』

6/8 初日観劇。

スペクタクルリーディングと銘打ち朗読劇+映像+音楽+衣装で観せるつもりだったところ、成河さんの焚き付けによって?結局ほとんど本を手離しての芝居になったという。開けてみたら"ト書きも読む芝居"でしたねw

 

ワハハなんだこりゃ昼ドラテイスト。見どころは成河ちゃんのテレホンsexかよ!爆🤣

いや、メタセコイヤの成河さん(ドレスの裾をひらっと広げながらのダンス的表現!)素晴らしかったし、植物の皆さんにはとても惹きつけられたんだけど。

こんな植物たちのお歌が聴こえてくるお庭いいなぁ住みたいなぁとか序盤に思ったことを全力で取り消したい😅

勘九郎さん可愛かったけど、あの子を真ん中に置かなきゃいけないかしら。子どもにあんな酷いいろんなことを目撃させてしまうの、虐待を目の前で見せられているようでちょっと堪え難かった。

 

パンフ、ウエクミさんの挨拶の"人間ではない視点"という話、ウエクミさんと演出一色さんの対談での"時間の体感"とか"日本と西洋の伝承の仕方の違い"の話、面白いな。ウエクミさんは興味深い人だ。あら?やっぱりルイとケイを置いたのは後付けなんじゃん。

成河さんのコメントで紹介されてる植物役についてのト書き「人間の役柄と関係があったりなかったりする」って面白いね!そっか、セコイアの生存戦略はひたすら上へ上へと伸びることだ。「僕たちはケイに何を託すんだろう」という投げ掛けには、そうね、考えてみたくなる。

 

そうだなぁ徹底的に植物目線のみで語られる脚本演出とか面白かったかもしれないよね。我々が普通に見ると不条理に思えてしまうみたいな。

盆栽が人間寄りになってるという発想は面白いなー。

 

あ、ブリリア1階最後列だったけど通路席だから視界良好でノーストレスだった。映像全景を見れて良かったんじゃないかな。シャラシャラカーテンに映した映像は奥行に立体感が出て森みたいで綺麗だった。キャストが植物の時はあれをかき分けて出てくるっていうのも良かった。そうそう、カテコ2回目はみんなそこから登場して植物役でのご挨拶になってて楽しかったな。1階後方は段差がちゃんとあってヘタな真ん中あたりよりもリスクが少ないかも。音響はだいぶ手を加えてるみたいだしね。サラウンド感は、まぁ若干?

次回は成河さんのあのシーンが近い上手前方だわドキドキ😅

 

 

6/12 千穐楽

今日はG列上手サイド、とても観やすい良いお席で満足であった。

あ、プロジェクションマッピングだけは後方正面からの方が1枚スクリーンに見えてきれいだったわね(シャラシャラカーテンは意外と大きく奥行きをずらしながら並べてあるのでサイドからだと隙間が生じる)。あぁ音響ももしかしたら台詞がちょっとくぐもって聴き取りづらい時があったかも。

 

メタセコイア成河さんの指先の表情まで堪能できたし、エロスカイプシーンも近くてドキドキした(牛柄のヘンなパジャマw)😆

お花様やたーこさんだけじゃないなみんなのレーテル層に呑み込まれそうな近距離でドラマを浴びてしまいましたけど、うーんやっぱり…子どもにあまりにも酷なことを負わせるこの物語は好きくない。

 

植物役と人間役の「関係があったりなかったりする」部分を今日は特に面白く感じたな。セコイアと父とか。お花様の二役も。役者たちの中でも初日よりその感覚が強くなってたんじゃないだろうか。

 

カテコに演出の一色さんが現れて言ってたけど、え?ケイの訪れは平和なのか???

 

セコイアの成河さんの身体が美しいのをとにかく満喫した。そうそう、裾をヒラッと持つ指先は表情があるけど、セコイアだから体幹はしっかり直立してるし衣装が着物みたいな合せ襟だったので肩の辺りがすごくフマっぽかったんだよね!ルイの重さに耐えてる(顔には出ないけど頑張ってるように見えたよねでも折れちゃう😢)ところも凄い身体表現だったし、強風に揺れてる様子も良かった🌲

また来月そういうの?がさい芸で見れるのかなーって楽しみになったよ❤️

serialnumber『Secret War -ひみつせん-』

登戸研究所の話、731部隊の話は劇チョコ『遺産』が強烈だったし、あの時も彼らは決してマッドサイエンティストなどではなく…という言及はされていたし、女性タイピストの視点とか後世に取材する記者の視点とかってまぁよくある語り方だよね…みたいな、わりと引いた感じで序盤は眺めていたんだけど。

 

若い市原と桑沢それぞれの実験結果報告のシーンで、南京で人体実験をしてきた桑沢を演じる宮崎秋人くんが目にいっぱいの涙を溜めて真っ青な顔でホント壊れそうなのを見たところからググッと惹き込まれてしまったよね。

釜山での牛疫実験を報告する市原と対になる形で、牛と人間が実験動物として同等に語られていると見えたのはとてもショッキングだった。

 

その前に、三浦透子ちゃん演じるタイピスト琴江の「私たちが我慢したってしなくたって勝つ時は勝つし負ける時は負ける」という台詞は好きだわーと思ったよ。物事の因果関係をちゃんと冷静に見れる、ヘンに過剰な物語を作り出さない理系脳ナイスだな!って。

 

「女性」というトピックも込められていたのは興味深かった。女性は銃後を守るしかない、情報も機会も与えられない、個人の興味や適性などは問題にされない時代(今だって果たしてどうかね)。「私たちは銃が見えるくらいのところにいるでしょ」と言う古川さん。もっと機会の与えられていない女性たちのことを考えたら私たちが頑張らなきゃ!みたいなことを言ってた。「でもどこまで行ったって銃なんて見えなければいいのにとも思う」とも言ってたね。

遥子が言ってたパチンコの負け率の男女差のデータは面白い。"男の沽券"とかってマジ厄介。これも男に限らないと思うけど。劇チョコ『帰還不能点』も思い出したわ。

あぁ「環境に優しいプラスチック」の話もしてたね。そうなんだよな人間社会って、後戻りはできない。アフトで日野氏が話されていた原発の問題なども正にそれだ。

 

戦争の予兆の一つとして「作家の言葉が勇ましくなる」というのが挙げられていてゾッとしたな。そういうのに知らず知らず蝕まれていくの怖い怖い。

 

王さんはてっきり桑沢かと思ってたら、ヒャッ!首括っちゃった😨ここの秋人くんの芝居も凄かったなぁ。秋人くんすごくキツイ役で大変だと思う。「前線に送られている同世代たちにお前の良心の呵責などを語ることができるのか」とか言われてキツイよなぁ。

カテコでは笑顔が見れてホッとした。大谷さん柔らかいお顔で秋人くんとしっかり目を合わせて迎え入れてくれるの優しいね。

 

坂本慶介くん演じる市原はとても誠実で素直でリベラルで快活で魅力的な人だった。言われてみれば大谷さんの王さんの纏う空気と繋がるわ。

 

琴江と市原は人間として共鳴し惹かれ合うものがあったというのが、透子ちゃんと坂本くんの佇まいからよく伝わってくる。

人体実験の話を立ち聞きしてしまい動転している琴江に、市原は「必要だよ」と言って代用コーヒーの話をしたね。これが彼女の気持ちを上向きにするって分かってた。

科学に対して2種類の「よく眠れない」(苦悩と興奮)が実感としてわかる、というふたり。

お互い"男女である"という社会通念(相手への気遣いも含めて)も持っていたから近づくことなく離れてしまったね。

最高の伴侶になれたかもしれないのに。

後にその想いを綴った市原の"恋文"

それが恋文であると分かる遥子。

そう言えば、遥子と王さんは最初から決して刺々しい雰囲気にはならない。遥子は彼が祖母と心を同じくした市原であると確信していただろうが、王さんは突然やって来たジャーナリストをもっと警戒したり邪険にしたって良かったのだ。年齢や過酷な経験を経ても陰鬱になったり偏屈になったりせず、元来のオープンマインドを失っていなかったんだね。

あゝカテコで大谷さんが秋人くんへ向ける笑顔は、市原として旧友と再会できた喜びでもあるのかな🥹

 

「恐いから知りたい/恐いから遠去けたい」という台詞もあったな。

そういう、なんかこう、私の中のセンサーに掛かる台詞たちがたくさん。

 

「撃たれて死ぬ人たちは自分が撃たれるとは最後の最後まで思わないんでしょうね」と言ったのは確か琴江だったと思うけど、現在まで"秘密戦"は続いているのだと王さんが遥子に語る傍から、後ろのテレビ画面の向こうで9.11テロが。

そして今現在も戦争している国がある。

軍備、戦争のための準備はどの国でもずっと怠りなく行われている訳だから、戦争はいつだって始めることは可能。始めまいとする意志だけが砦なのか。

 

科学に惹かれその果ての恐ろしさまで自覚した上で今はそんな自分だからこそ担える役割がある筈とジャーナリストの道を選んでいる遥子を、市原は嬉しく眩しく見つめただろう…そこに琴江を重ねて。

次世代を、子どもを育てるということに希望を思ったりもするね。

古川さんやユキちゃんは戦後どのような人生を送ったのだろうか。

 

松村武さんが演じた温かい人間味のある判戸さんも、森下亮さんの明るいオタク研究者山喜も良いキャラだった。

あ、夏ポテトごちそうさまでした!