J’aime le théâtre♡

観劇日記。

『パンドラの鐘』初日

99年蜷川さん野田さんの競演が"事件"とされた作品だそうで、この度は杉原邦生さん演出により、NINAGAWA MEMORIALと銘打ちコクーンにて。

 

ん〜野田戯曲やね。言葉遊び的なものも入った台詞たちのリズム感正直わたしはこれ好きなのかどうかわからないな。もっと気持ち良くカッコよくテンポよく聴かせてくれたら好き!って思えるかもしれない。今日のところはまだまだ全体がキュッとなってないと言うか、流れがプツプツしてると言うかなんだろう、私が乗り切れなかっただけか?

モチーフの断片が最後にグワッと繋がっていく感じも野田的と言えるのかしら。これも力技と言えば力技だから、なんかもっと有無を言わせぬ持ってかれ方をされたい。

 

野田台詞がいちばん馴染んでると思ったのが前田あっちゃんだったなースゴイ。あっちゃんの台詞・芝居は心地よくてずっと聴いてたい・観てたいと思った。とてもチャーミングだったし、あんなエキセントリックな役なのに説得力があった。複雑さや深みさえ感じさせる。

白石加代子さんはまぁ、存在が凄いよね。出てくるだけで野田さんの物語世界。でも残念ながら台詞はもたついてしまうところも多くて。フェイクスピアの時も特に調子悪い日もあったようだしねぇ心配。

玲央さんはそんな白石さんとの掛け合いが多いからフルスロットルになれないんじゃないかなぁ。もっとがっぷり四つになれる日もあることを期待。強く硬質にするところはガツンとやってるからそれは好物だし、ビジュアル良き!

わーヒイバアは野田さんがやってたのかそれ観たいじゃん!野田さんヒイバアと玲央さんハンニバル絡んでみてほしいじゃん!

声の響きと口跡は玲央さんと亀蔵さんが圧倒的だった。亀蔵さん狂王の佇まい良かったなぁ流石。

 

蜷川ハッチ絶対開けるだろと思ってたけどやっぱり最後に開けたね。オマージュだよね。

街の雑踏の中でポツンと誰にも顧みられず忘れ去られているようなミズヲ。

今日の天候によって、暗闇のなか地に倒れたミズヲに雨が打ちつけているような画にもなったのか。

あるいは、灼けた大地を優しく潤す恵みの雨かな。

ミズヲの名前の意味がわかった時にはハッとしたな。

そっか野田さんて長崎生まれなんだ。

 

鐘が🔔ではなく道成寺の鐘なのは邦生さん演出なの?野田さんが大英博物館で得たインスピレーションの時から道成寺のイメージはあったんでしょ?ファットマンの形との繋がりから言っても。野田版ではきっとそうだったんだろうな。チラッと舞台写真を見た蜷川版では🔔だったみたい。あ、でも今回も劇中の鐘の音は西洋の教会っぽい気がしたけど。あぁ浦上天主堂の鐘の音か。

開場時にコクーンの機構丸見えな状態だったのには『プレイタイム』思い出してテンション上がったよ。4本の柱は能舞台を想起させるものなのか。うん、死者の声を聴く話。

印象的な演出…天井からザッと落とした紅白幕で壁全体が覆われた華やかさキッチュさとか、ヒメ女が娘道成寺のように乗った鐘が吊り上げられていくのとか、全体が白黒になっちゃう照明とか、閃光と振動で原爆を表したりとか、歌舞伎っぽい音曲を使ったりもしてたな。そうだ、ちっちゃいピンスポが床にいっぱい蠢くのでアッと思ったけどやはり照明はオレピュラと同じ高田政義さんだった。美術の金井勇一郎さんは蜷川作品をよく担当してた方なんだね。音楽はm-floの☆Taku Takahashiさん、王の葬式の時の曲がポップで愉しい。

 

演出家も次世代を担っていく人だし、初舞台の成田凌くん(がんばってた)と瑞々しいヒロイン葵わかなちゃんを起用して若い・舞台観に来るのは初めてというお客さんも呼んで、そうそういつまでも蜷川だ野田だと祀り上げられる状況では早くなくなった方がいいんじゃないかな。カテコはスタオベになって白石さんが呼び込む形で野田さんまでステージに上げられてなかなかの熱気と高揚に溢れたけど、この空気を作ってるのはたぶん蜷川さん野田さんを観てきてる世代の客たちとか、憧れを抱いてる玄人観客たちなんだよな。特に思い入れのない人たち(私自身もそうです)はこの感じが好きか嫌いか自分で判断すればいいし、もっと好きなもの・カッコイイと思うものに金を払っていけばいい。初日のカテコは客席ポカーンみたいな雰囲気も素敵だと思うんだよ。

レガシィを受け取ることは邦生さんからも佐助くんや時生くん(アングラサラブレッドとツイッターで見かけて笑)からも感じられるし、考えてみればこの物語も古の声を聴くという話だけれども。未来のために、だよね。

 

また観に行くよ。もっと今ここに立ち上がっているものとして観れることを期待する。

 

あ、そうそう「女王」をジョウオウみたいに発音するのって気になっちゃうんだけど。主演の2人含め気になる時があったんだよなー。へぇでもこれって慣用とされつつあるんだね知らなかった!

 

あら、過去の『ザ・キャラクター』視た時のメモを読み返すと、今回わたし野田台詞の回し方に満足してないんだなっていうのがよく分かるわw

そうだよねぇシェイクスピアみたいな感覚な筈なんだよね。

 

気になる言葉いろいろ

焼け跡の蛇口には『水の駅』って関係あるのかな?と思った。

埋める王の古墳に大勢の奴隷が埋められたって子供の頃に学研マンガが何かで見てからめちゃくちゃ印象に残ってんのよね。

ボランティア

化けて出てこい!

ドの音をとかってヒメ女とミズヲの会話楽しかったね。うん、若い俳優なのいいよな。

ミズヲはみんな死に絶えて誰も居なくなるのがいいって言ってたけどどういうことなんだろう?

『貴婦人の来訪』

6/4に観劇。

 

ひぇー容赦なかった。グッサグサやられた。ダークファンタジー?怖い童話?半端ないエグさブラックさに呆然。

 

秋山菜津子さんのクレールが圧巻。

こーろされたーって死なないわっ

頭グルグルしてるしかも長調になり短調になり延々脳内ループ

えっ!この曲秋山さんがご自分で作られたんですか!?もしかして戯曲に「殺されても死なないような感じ」とかってクレールについてト書きがあるのかな。

この歌だけでなく、音楽がすごく効いてたなー。ラストの合唱団には戦慄した。ギターも、何か変な言い方だけど完璧な劇伴になっていない感じがして良かった。

 

街のみんながどんどん黄色になってく恐怖。

そっかぁ5兆が分配されると思ったらなるほどそうなるんだな。1人当たり5億くらい支給されるのかな。あ、これも単位を付けない翻訳のやり方?

 

津田さんの先生やべぇ。教師と医者は知性を砦にできるのか?と思ったらやっぱりダメでむしろ変わり身・理論武装・突っ走り方がヤバかった。政治家や警察がやべぇのは分かりきってるけど。神父さんは「人間は弱いものだ」と言ってイルを遠く見えない所へやろうとした(カトリック的!)。最後に手を汚す先頭を切らされるのは体操選手なんだな。

 

演出・舞台美術好きだわー楽しい。敢えて日本語の看板類が面白い。そっか五戸さんあの『どん底』の演出家だ!衣装の効果も凄い。黄色いもの着て行ってなくて良かったわ。

戯曲が凄いのか演出が凄いのか…この寓話み・ダークファンタジーみ・作り物っぽさ?は、演出によるところが大きいかも。

 

そう言えば死刑が行われた場所って劇場だったよね。「人生は真剣、芸術は豊かさ」みたいな言葉(うろ覚えだけど)が掲げてある。

(6/9舞台写真で確認して加筆:「人生は真剣、芸術は活力」でした。)

 

走る列車。資本主義とか社会のシステム。降りられない列車だ。

 

ヒューマニズムとか、ヨーロッパ的なとか、すごい皮肉。

 

クレールはそんなに復讐に燃えてる!というふうにも見えないんだよな。なんでだろ。とにかくチャーミング。醜く憐れな感じがしないからかな。

ギュレンがどうなっていくか、クレールは全てを見透かしていた(心臓麻痺の診断まで)。それを超然と見てた。事態は分かりきっている結果へ向けて粛々と進んでいった。彼女は既に恨み憎しみ怒りなどは通り越して置いてきてしまっているようだった。もう人間の域にいない(殺されたって死なない)。神とか摂理とか?そういう存在に思えた。あくまで彼女はこの物語の装置であって、同情したり心情に寄り添うことを拒絶(彼女ではなく作者によって)されているような。

 

そう、クレールが強い憎しみ・復讐心であの結果を成し遂げたと考えるよりも、自然な成り行きでああなったよね〜と思う方がずっと怖い。

 

相島さんのイルは引きこもって考えてるうちに何かを悟った…と言うか、彼もこのシステムに取り込まれたのか。でも外から見る視点も持ったままではあるからツライ。

家族がなぁ特に葛藤とかする感じもなく黄色くなっていくんだよないやぁ当然そうなりますよねって言われてるようでめちゃめちゃ怖い。

 

クレールはいわゆる復讐劇の主人公な描かれ方では決してないと思うし、イルやその家族も「物語なら通常このように描かれる筈だ」という予想・期待・典型どおりには敢えてしない、観客に肩透かしを喰わせ予定調和などは生じさせないことを狙っているような気がする。

そう言えば先生がクレールに対して「あなたはメディアのようだ」みたいなことを言った時クレールは「え〜全然そんなんじゃないんですけど〜」みたいな顔をしてた。そういう類型化できないことに直面した時いちばん打撃を受けてしまうのは知識人なのかもしれないよね。

 

観ている間じゅう「これあなた方が現実社会について考えるための演劇という装置ですよ物語に浸るなんて許さねぇ」と言われてるようだった。ブレヒト的っていうの?

 

パンフの配役表「来訪する人たち」「訪問される人たち」「その他の人たち」「煩わしい人たち」ってなってるの面白い。

判決のくだりのテイク2をやるの馬鹿馬鹿しいの極みだったけど、「煩わしい人たち」とそれに煩わされてしまう人たちへの批判かな。

作者デュレンマットについての解説や特に亀田達也氏の寄稿は大いに作品理解の助けになるし、シリーズ3作のチラシビジュアルの詳細解説ページもあったからパンフは買って正解だった。

社会が全体主義に染まっていく様子を描いた作品として戦後のドイツでヒットした本作は、ソ連でも資本主義を揶揄する芝居としてウケていたらしい。

普遍的に、人間社会とはこのようにして変貌するもんだってことだ。うん、我々はそのことをよく知っているよ。だからこの劇を観て怖くてたまらない。

 

 

 

『関数ドミノ』2回目

あぁ、真壁は死んだんだ。

自分がドミノだったと悟って打ちひしがれ「死にたい」と望んだ。

そうだよね、あの状況、もう消えて無くなりたいよね。

「備えて」「どうか間違わないように」

冒頭のモノローグ(観客への語り掛け)を聴いてたら、真壁は澤村さんが言って大野先生が支持したドミノ理論の捉え方を受け入れたんだなと思った。それを、あの世から、私たちに、訴えかけている。

いや、あるいは、もしかしたら、"本心"は違ったから(生存本能)死ねなかったのかもしれない!もう今はドミノではなくなって過去を悔いながら生きてる?または自分が今もドミノだという恐怖で1歩も動けないまま生きてる?

 

いやぁ面白かったなー!

真壁の凄いネガティブに引き込まれるし、そうそう容易く希望を思えるようなラストでもない(と私は感じる)んだけど、でも、なんだろね、意外とドンヨリしない。うわぁーおもしれぇもん観たー!っていう高揚で、わりと爽快な後味になってる。

 

あの舞台美術すごく好き!!

ありふれた部屋や街の風景・会話・人間関係・意識が、あの不穏な四角の内外や衝立を使って表されてるのサイコー。シャープな照明もカッコいい。我々の日常もきっと見方次第でこんなふうに不穏なんだ。

そう、イキウメメガネをかけて現実世界を見るとこういうふうに見えるんだ。

開場中に不穏な地鳴りみたいなのが聴こえてるけど、あれはイキウメメガネ装着と共に聴こえてくる、世界の様相が崩れ始める音なのかもしれない。

 

森魚まったくしょーもない普通の人じゃんw素直で率直で悪気のない天真爛漫な人だけど俗物だしすごい普通な反応とか葛藤をする。浜田さんここまでフツーの人の役やることなかなかないんじゃない?勿論スーパーマンに見えちゃう効果が必要だから浜田さんがキャスティングされてるのでしょうけど。ただ歩いたりただ椅子に座ってるだけとかでなんか只者ではない感がしちゃうのすげぇ。俺には不可能はない!ってバーンとポーズ取って言う時なんてマジ超人に見える。よくよく考えたら普通の人が戯けて言ってる台詞なのに。

平岡さんから見た森魚の性質はその通り!と私も思ったけど、弟が離れていくことで自分のやり方を反省したのかな?それとも全然受け入れ切れず己の価値観をゴリ押しし続けるのかな(俺の真意とか言ってたのも負け惜しみにも聞こえる)?あるいは平岡さんの見方がバイアス掛かりまくりなだけ?分からないけど、いずれにしても森魚ってものすごく人間臭いフツーの人じゃんね。しかもかなり旧型。

 

真壁・森魚もだけど、登場人物全員リアリティが凄い。芝居と言うより目の前に居る人間たちを見た!という感じ。

森下さんが演じた新田には嫌悪・不快を感じてしまった。娘を思う気持ちはわかるけど知性やデリカシーに欠けている。真壁に共感しちゃってるのかな私?

澤村さん天使な面は嘘ではないけど決してそれだけじゃないよね大野先生に男女間の感情を読み取ってちょっと意地悪なフーンていう顔をしてたりしたよ。そういうとこ細かい!大野先生が真壁の自宅で鉢合わせした澤村さん(横道さんも居た)に対して何か不愉快さを感じたとは私は思わないけど。

大野先生の世界の捉え方は好き。でも周囲から"冷たい女"的に思われたり(澤村さんの目線もそんな感じだったよね)軋轢を生んだりした経験もあるんだろうなぁとかも思う。

土呂はもしかして自分も物書きだったり出版関係の人かも。言葉に縋るタイプ。森魚に言葉を迫る時「小説家だろ!」とか言ってた。

陽一くんは兄貴の価値観から離れて自分のこと好きになれるといいね。すごく人を惹きつける魅力を持ってる子なんだと思うよ。平岡さんから"一個人であっていいんだよ"と学んで、一緒に歩いていけるといいね。大好きな兄貴とも一個人どうしで仲良くしていけたらいいね。

横道さんは"辻褄が合ってる"ことに安心する人なんだろうな。それもすごく解るわ。

 

"あり得ないことに直面した時の人間の反応"

(イキウメンズが誇るスキル!)というところ込みのリアリティが本当に凄い。特にやっぱりあの真壁をそこに実在させてる安井さんと、森魚の印象をミスリードしちゃう浜田さんの芝居力に興奮を覚える。そして何より前川さんの劇作&演出(世界の切り取り方と見せ方)がたまらんのだイキウメ!

 

カテコの時に浜田さんずっと最前列の一点を見てニッコニコしてるなと思ったらそこには真っ黒な盲導犬ちゃんがいたのでした。そんな浜田さんを見て私が癒されたわ☺️

ワンちゃんすごいなー2時間お利口さんにしてたんだね。

https://twitter.com/tomomaekawa/status/1532165142343204865?s=21&t=VnWwn-Hyn0yK_-fFPA-fQw

Fan of the dayじゃあね、カテコの浜田さんの視線独り占めでもしょうがない!😆

 

 

團菊祭五月大歌舞伎 第三部

『市原野のだんまり』『弁天娘女男白浪』

一度3階から観てこりゃ1階で観なくては!と買い足した千穐楽ドブだけど花道近くの前方で堪能〜🥰

市原野のススキに潜むはーちゃんも、けんけん&みっくんの坊主持ちのワチャワチャも、五人男花道勢揃いの立姿も、もぉ〜すぐそこ手が届くような間近で観れて身体・空気を感じられて満足満足❤️

けんけんがちょこっと歌うのも至近距離で聴けたもんね!素敵だったぁ〜💓


いやもう、五人が花道に一人ずつ出てきて勢揃いする画を絶対観たかったから!

揃ってキメる瞬間は後ろから観ることになっちゃったけど、彼らと同じ照明を私も浴びてテンション上がったわ。真ん中辺りに座ってた友達が、けんけん越しに私が見えたって言ってた!😆

稲瀬川の並んだ姿や名乗りももちろん最高にカッコイイ!

お着物の着こなしと言うか着崩し方が五人五様なんだよねー。性格や出自が出てる。

けんけん弁天小僧イキっててかわゆーーー☺️顔つきもそうだし、ちょっとがんばって高く掲げてる感じの傘の持ち方も!

はーちゃん忠信利平は後姿のお尻の形がキュッと丸くてサイコー😍だし改めて言うけど惚れ惚れしてまう男前。横顔も目を見張る美しさ✨

彦三郎さん声良いなー!

米吉ちゃん微笑がとてもかわいい💕


あ、だんまりの莟玉くんも暗がりの中で発光しているような美麗さだったけどね!

ここでもまたはーちゃんの話をすると、保昌を見つけた時のキッとした目つきが良かった。そう言えばピストル撃ってたけど?平安時代なのに?w


今日のお席、花道に五人揃うまではずっとこっち向いて立ってるから、目の前のけんけんとはーちゃんをあんまりジッと見ちゃったら悪いかしらとかドギマギしちゃった😆

あと、浜松屋でお嬢がだいぶ長い時間後ろ向いて屈んでるけど、あの間に自分でお顔してたんだね!傷を付けてるだけじゃなかった。後見さんが持った手鏡を見ながらキリッと眉を引いて弁天小僧に!口紅も引き直してるしアイメイク全体直してた?その前、みんなで囲んでる時にカツラも外してほつれ髪のあるやつに取り替えてた!見せないようにしてるとこだけど真横から全部見えてたのでずっとガン見してしまったよ。なかなか貴重な体験だったわ。


けんけん「誕生日は明日じゃわいなぁ」って言ってた🤣わぁこれが20代最後の舞台だったんだ。

けんけんの弁天小僧ホント魅力的だったよ。

お嬢はめっちゃ美人だし、いよいよ正体を曝す前の長い静けさ(息詰める客席)とかたまらんかったよねー。

そっか、ぼんぼりのかんざしがポテッと落ちるんだったな。小僧ったら後でそのかんざしで煙管ホジホジしちゃってたけどw

瑞々しく、やんちゃでイキっててかわゆい、みっくん南郷にてがわれてる(注:讃岐弁の意味です)、今の年齢のけんけんがこの仲間たちと共に演じた弁天小僧を観れたことは私にとって宝物になるんだろうな。(可愛い過ぎるインスタのリールの思い出とかも!🤣)

 https://www.instagram.com/reel/CdLRKXwD7O8/?igshid=YmMyMTA2M2Y=

あぁこの五人の並びをまた10年後とか20年後とかに観たいものだねぇ



イキウメ『関数ドミノ』

へぇ、"信じる力"を、意外と肯定してるんだな。

現実世界には物語なんて無い、原因と出来事だけ、と思いたいけど。

誰かの物語に巻き込まれるだけだなんてたまったもんじゃない。

 

どーしょーもない欲求、欲望、当然だと思っていること、の強さ。

それが食い違うから人間関係は難しいんだなってこと。

浜田さん森魚は異様なパワーを持ってる人と見せ掛けて実はただの旧来価値観ガチガチな煩悩野郎だった。でも強いんだよ、こういう疑いも持っていない感じが。だから社会はそうそう変わらない。

 

安井さん真壁の醸し出してた負のエネルギーは凄かったな。「間違えないで」という悔恨の陰鬱さ。

ドミノってつまり世の中の大局とはこのように形成されますってことでしょ。マジョリティとかインフルエンサーとか。まさしくドミノが倒れるようにみんながそれになびいていく。

 

あー、盛さん土呂はなんであんなにも森魚に"友情"を言葉にして欲しがるのかなーって思った。そんなん全然当てにならないじゃん!そんなものに縋る憐れさ。

 

人の想いで物事や世の中が動いていくと考えるのってすごく負担の掛かることだよ。常に、何かが足りなかったんじゃないかとかもっと違うようにできたんじゃないかとか、後悔ばかりになってしまうじゃん。人が死んだのは「ただ死んだ」って思える方がよっぽど楽だよ。

意味を見つけ過ぎちゃうのとか物語に囚われてしまうのってとてもめんどくせぇ。

てか、物語の書き手にならないといけない責任って負いきれないよね、人生においては。どうにもならんことがあるくらいでちょうどいいと思っちゃう。

世の中で起きているあらゆることの責任が自分にあるなんてムリムリムリ。

それこそ「間違えないように」することが苦しくなっちゃうと思う。

そういう、自分で決定することへの怖さ…あるな。

誰か/何かのせいにしてた方が、仕方ないと思えた方が、結果、気が楽。

良心と本心は違う、とか言ってたけど、そんなんいちいち自分で意識せざるを得ないの苦しいだろー。

 

真ん中の低くなった四角形の中、吸い込まれそうな真っ黒で""って感じだった。その中に森魚がいて他の人たちが周りの椅子に座って見ている感じはまさに主役と傍観者。

四角形の内外、すりガラスのような衝立(陰に居る人の足は見えてる。衝立の向こうで大勢がゴニョゴニョ蠢いてる時もあったな)で表されている様々な時空や意識レベル?

 

人の想いなんて所詮他の誰にもわからない。

それはそうだと思う。

言葉を尽くして伝えたとしても、言葉になった時点でそれは既に想いそのものではなくなっている、その想いに既存の言葉を何とか当てはめたものに過ぎない。

と言うか、そもそも言葉になる以前の想いは、言葉になっていないから本人にも認識できないってことだよな。

言葉にされた時点で既に想いそのものではなくなっている、それが他人に伝えられた時、そこには更に受け取った人の解釈だって挟まるから、元々の想いとの乖離はもっと大きくなる。

もちろん言葉は本心を隠すことにだって使えるし。

あゝ…言葉への懐疑。

観劇感想を文章にすることで綺麗に箱に納めちゃったような気がする感覚、あるもんね。

 

感情って意外と物理で出来ているので何も無いところに想いを向けるのは難しいから門()という『旅と渓谷』の台詞も思い出す。ってことは、具体的なもの・目に見えるものへ向ける想いの方が強くなる傾向にあると言える?

てか、言葉というもの自体が物理か!

我々は自分の想い・感情さえ言葉を介してしか認識できていないのだ。

でもやっぱり言葉にしないと覚えておけないから言葉にするんだわ。

覚えておけないくらいなんだったら忘れちゃったって別にいいじゃんねという気持ちに一瞬なるけど、いやいやいやそんなにも自分を把握できない、自分のことがわからないってやっぱ怖い。

 

澤村さんと大野先生が何か希望めいた後味を残そうとするけど、やっぱり私は「社会が変わるのって無理過ぎ〜」という絶望感の方を強く感じてしまうよ。

 

 

 

『飛龍伝2022 〜愛と青春の国会前〜』

★☆北区AKT STAGEによる公演。紀伊國屋ホールにて。

 

もぉクッソみたいな前時代な話なんだけど問答無用に惹き込み滾らせ震わせカッコイイ!と思わせる一体コレ何!?なんかちょっとこの高揚には危険すら感じてしまう。

 

一色洋平くんの一平ちゃんはズルイよ泣かせる😭どこまでも純で優しくてイイ奴でマジ優しくて切なくて。洋平くんの熱さ・お人柄も重なって。そう、洋平くんのお人柄のおかげで下卑た感じがしないのが良い。

前方下手席で、最初の登場も目の前だったし切ない顔を間近のド正面から度々喰らったよ。

 

ラスト直前の全共闘と機動隊、ものすごく青春だったなー。泣けた。

そっか、一平による殴打が死因なのかその瞬間、えっ!ていう一平の呆然とした顔が浮かび上がる

全員タキシードとドレスになったカテコは、無茶苦茶にかっこいい🌹

 

俳優さんみんな好きになった。

ネズミ青野さん。妻を亡くした三浦さん。

日大草野さんと機動隊大江さんの拗れた友情は熱かった。2人の最初のシーンで現在の"成れの果て"な様子やそもそも学生と機動隊という立場の違いを解らせてもらえるんだけど、それにしてもあの熱は劇の序盤のテンションじゃないよねあれで一気にペースに呑まれたかもしれない。

桂木の小山蓮司さんと神林美智子の井上怜愛さんも勿論。

年配学生の及川さんとめさんや勝利役の古賀さんはつかさんと一緒にやってらした方々ですね。

 

最初と最後はあの日から50年後の現在で、ウクライナ情勢を背景にしていると分かる音声が流れていて。

息子勝利が押す車椅子に乗った一平。国会前で待っていたって結局誰も現れなかったんだろうな。機動隊の彼らは本当に来てたのかな。みんな一平の見た幻だったんじゃないかな。勝利は悲しそうに背中を向けていたよ。

 

そう言えばこれもまた「"正義"って!」という話だったな。

今という時代。価値観が揺らいだところから、何かに縋ろうとする危うさに行き着いてるかもしれない。

勝利がしっかりと2022年の感覚の人だったのはとても良かった。

 

 今朝いつものセブンで発券した時、店員のおばちゃんに「おっ!つかこうへい!面白いんだよね〜いってらっしゃい」って言われたw ちょうど世代の人か。

 私はつかさんに思い入れがある訳ではないしこれも決してすごく好きな作品だってことはないけど、うん、まぁやっぱり洋平くんを筆頭に役者たちの魅力を楽しんだ感じかな。ド迫力が楽しかった。

 

スリーピルバーグス『旅と渓谷』

スリーピルバーグス旗揚げ野外ツアー『旅と渓谷』@永福町駅屋上庭園ふくにわ

こんな御近所に来てくれるなんて嬉しくて、野外劇って雰囲気最高だし敬三さんとさと兄なんて面白いに決まってんじゃーんていうの+福原さん成河さんの対談にすっかりときめいてしまってもいたので、どんなもの観せてくれるんだろうってワクワクで臨んだ

わぉこんなとこにこんなお庭があったのね!この駅ビルには何度も来たことあるけど3階までしか知らなかった!

反対側の階段を上がろうとしていきなり敬三さんと出くわし正しい入口を教えて頂いてしまった。わーホントに俳優さんが公演前準備で走り回ってる。

 

さと兄の前説(福原さんがふらっと横切り照明機材位置を直してと指示するも上手くできないさと兄w)にニコニコしてたらぬうっと三土さんが現れてサッと空気が変わり芝居に入る。(俳優ってすげぇ!)

 

おカネが絡んで世知辛いようなシチュエーションから、渓谷を下っていく旅が始まる。

旅人の敬三さんと、ガイド(押し売り)のさと兄と、ポーター(にさせられてしまった)三土さんと、質屋だけどガイドができる佐久間さん。

 

ビジネスパートナーとして一緒に歩いて行くが、プライベートでは打ち解けた3人から外れた1人になってしまう敬三さんw

 

人が居なくなり街が無くなった跡に建てられた、お墓みたいな""の話。

 

"公約"に縛られている宿屋の人。お約束なんか無視して木のドアだって通り抜けて来ちゃう立候補女。

 

どうせ渓谷から出て行く切符も持っていない俺は旅なんて続けてもしょうがないという、三土さんが人知れず抱く苦悩。脇役の悩みだからそんなの誰にも語られない話なんだけど、つまり誰にも語らないけど苦悩を抱えてる人は自分の他にもたくさんいるんだよ、って話。

知らないうちに自分も誰かにとっての"見知らぬ家の1LDKの灯"になってんだよ、って話。

 

死者のことを悲しむんじゃなくて寂しがれ、っていう話。仔狸の言葉が何とも言えず可愛らしい。

「どう死んでるか」こないだOrganWorksで「死者は死に続ける」と言ってたのを何となく思い出したな。

 

多くの人が旅を諦め留まってしまって出来た五ヶ月の街。

 

渓谷は河になり、十ヶ月の街は海辺にあって港がある。

そこから船出して行ける切符を持っているのは敬三さんだけ。

あ、そう言えばスタンドバイミープラレールめっちゃ可愛かったなー

 

哲学を帯びた"軽演劇"って感じで、そこはKAATの『冒険者たち』と似た感触だった。もっとずっと泥臭いし尖ってたけどね。

敬三さんの剥製の芝居とかさと兄の無闇に上裸でオウム連れてる人とかもぉ笑っちゃうんだけど、そういうとこで不意になんか哲学っぽい台詞が吐かれるわけよ。そして惹きつけられる。

 

十月十日って言うから、渓谷を旅しているのは産まれてくる前の命たちなんだな外へ出て行くところだったのに最終的に出られなかったあの子は死産だったのか流産だったのか悲しいな肺を動かして息をする、僕と一緒に居てくれる人は何処?って泣く、愛し愛されて生きる、それができなかったあの子と、会えなかったお母さんや家族は😢って思ったけど、後で当パン読んで、あゝそうか!あれは劇作家が産み出そうとしていた"登場人物"たちだったのか!って、あゝ福原さんそんなにも深い愛情を籠めているんだ🥹ってグッときちゃったよ。福原さんIMY『あくと』でも物語の登場人物への愛を感じたもんね。

元々このスリーピルバーグスは、発表を前提としない稽古集団として結成されたんだって。劇にならなかった、観客へ届けることにはならなかった台詞や登場人物たちがたくさんあったのかなぁ。そしてとうとう今日産み出されたけど、「生きてるマウント」なんて取らないでくれと言っていたように、そこに至るまでの全てにたくさんの愛情が注がれているのだろう。だからこそ勿論、産み出されたものはとてもとても大切で、誰かに愛されて欲しい遠くまで旅をして欲しいと願うんだろう。

皆さんでいっしょけんめい産み出してるところに立ち会えて幸せだったな。大切に腕に抱いて帰るよ。

 

敬三さんとさと兄ホントいちいち魅力的だったし、たぶん初めて拝見した佐久間麻由さんと三土さんもすごく素敵だった。4人とも野外である(雑音もある)ことをものともしない素晴らしい発声で心地良かった。

 

役者が何役もやる上に音響(ラジカセ!)や照明の操作もするし、そもそも屋外のぬかるみ&水たまりみたいな所で泥んこビシャビシャになりながらお芝居してて、終演後10分?でまた次の回の準備しなきゃいけなかったりもして、いや大変。クレジットを見てもスタッフワークほぼすべて役者たちと福原さんって書いてあった。制作から機材の調達(照明機材は島忠中野坂上店で購入w)からなにから。なんかこう、観客も決して饗応してもらうみたいな心づもりでは座っていられない、一緒に特別な場所を作って時間を過ごしたなぁっていう気持ち。

佳き夜。