スリーピルバーグス旗揚げ野外ツアー『旅と渓谷』@永福町駅屋上庭園ふくにわ
こんな御近所に来てくれるなんて嬉しくて、野外劇って雰囲気最高だし敬三さんとさと兄なんて面白いに決まってんじゃーんていうの+福原さん成河さんの対談にすっかりときめいてしまってもいたので、どんなもの観せてくれるんだろうってワクワクで臨んだ♡
わぉこんなとこにこんなお庭があったのね!この駅ビルには何度も来たことあるけど3階までしか知らなかった!
反対側の階段を上がろうとしていきなり敬三さんと出くわし正しい入口を教えて頂いてしまった。わーホントに俳優さんが公演前準備で走り回ってる。
さと兄の前説(福原さんがふらっと横切り照明機材位置を直してと指示するも上手くできないさと兄w)にニコニコしてたらぬうっと三土さんが現れてサッと空気が変わり芝居に入る。(俳優ってすげぇ!)
おカネが絡んで世知辛いようなシチュエーションから、渓谷を下っていく旅が始まる。
旅人の敬三さんと、ガイド(押し売り)のさと兄と、ポーター(にさせられてしまった)三土さんと、質屋だけどガイドができる佐久間さん。
ビジネスパートナーとして一緒に歩いて行くが、プライベートでは打ち解けた3人から外れた1人になってしまう敬三さんw
人が居なくなり街が無くなった跡に建てられた、お墓みたいな"門"の話。
"公約"に縛られている宿屋の人。お約束なんか無視して木のドアだって通り抜けて来ちゃう立候補女。
どうせ渓谷から出て行く切符も持っていない俺は旅なんて続けてもしょうがない…という、三土さんが人知れず抱く苦悩。脇役の悩みだからそんなの誰にも語られない話なんだけど、つまり誰にも語らないけど苦悩を抱えてる人は自分の他にもたくさんいるんだよ、って話。
知らないうちに自分も誰かにとっての"見知らぬ家の1LDKの灯"になってんだよ、って話。
死者のことを悲しむんじゃなくて寂しがれ、っていう話。仔狸の言葉が何とも言えず可愛らしい。
「どう死んでるか」…こないだOrganWorksで「死者は死に続ける」と言ってたのを何となく思い出したな。
多くの人が旅を諦め留まってしまって出来た五ヶ月の街。
渓谷は河になり、十ヶ月の街は海辺にあって港がある。
そこから船出して行ける切符を持っているのは敬三さんだけ。
あ、そう言えばスタンドバイミープラレールめっちゃ可愛かったなー。
哲学を帯びた"軽演劇"って感じで、そこはKAATの『冒険者たち』と似た感触だった。もっとずっと泥臭いし尖ってたけどね。
敬三さんの剥製の芝居とかさと兄の無闇に上裸でオウム連れてる人とかもぉ笑っちゃうんだけど、そういうとこで不意になんか哲学っぽい台詞が吐かれるわけよ。そして惹きつけられる。
十月十日って言うから、渓谷を旅しているのは産まれてくる前の命たちなんだな…外へ出て行くところだったのに最終的に出られなかったあの子は死産だったのか流産だったのか…悲しいな…肺を動かして息をする、僕と一緒に居てくれる人は何処?って泣く、愛し愛されて生きる、それができなかったあの子と、会えなかったお母さんや家族は…😢って思ったけど、後で当パン読んで、あゝそうか!あれは劇作家が産み出そうとしていた"登場人物"たちだったのか!って、あゝ福原さんそんなにも深い愛情を籠めているんだ🥹ってグッときちゃったよ。福原さんIMY『あくと』でも物語の登場人物への愛を感じたもんね。
元々このスリーピルバーグスは、発表を前提としない稽古集団として結成されたんだって。劇にならなかった、観客へ届けることにはならなかった台詞や登場人物たちがたくさんあったのかなぁ。そしてとうとう今日産み出されたけど、「生きてるマウント」なんて取らないでくれと言っていたように、そこに至るまでの全てにたくさんの愛情が注がれているのだろう。だからこそ勿論、産み出されたものはとてもとても大切で、誰かに愛されて欲しい遠くまで旅をして欲しいと願うんだろう。
皆さんでいっしょけんめい産み出してるところに立ち会えて幸せだったな。大切に腕に抱いて帰るよ。
敬三さんとさと兄ホントいちいち魅力的だったし、たぶん初めて拝見した佐久間麻由さんと三土さんもすごく素敵だった。4人とも野外である(雑音もある)ことをものともしない素晴らしい発声で心地良かった。
役者が何役もやる上に音響(ラジカセ!)や照明の操作もするし、そもそも屋外のぬかるみ&水たまりみたいな所で泥んこビシャビシャになりながらお芝居してて、終演後10分?でまた次の回の準備しなきゃいけなかったりもして、いや大変。クレジットを見てもスタッフワークほぼすべて役者たちと福原さんって書いてあった。制作から機材の調達(照明機材は島忠中野坂上店で購入w)からなにから。なんかこう、観客も決して饗応してもらうみたいな心づもりでは座っていられない、一緒に特別な場所を作って時間を過ごしたなぁっていう気持ち。
佳き夜。