6/4に観劇。
ひぇー容赦なかった。グッサグサやられた。ダークファンタジー?怖い童話?半端ないエグさブラックさに呆然。
秋山菜津子さんのクレールが圧巻。
♪こーろされたーって死なないわっ
頭グルグルしてる…しかも長調になり短調になり延々脳内ループ…
えっ!この曲秋山さんがご自分で作られたんですか!?もしかして戯曲に「殺されても死なないような感じ」とかってクレールについてト書きがあるのかな。
この歌だけでなく、音楽がすごく効いてたなー。ラストの合唱団には戦慄した。ギターも、何か変な言い方だけど完璧な劇伴になっていない感じがして良かった。
街のみんながどんどん黄色になってく恐怖。
そっかぁ5兆が分配されると思ったらなるほどそうなるんだな。1人当たり5億くらい支給されるのかな。あ、これも単位を付けない翻訳のやり方?
津田さんの先生やべぇ。教師と医者は知性を砦にできるのか?と思ったらやっぱりダメでむしろ変わり身・理論武装・突っ走り方がヤバかった。政治家や警察がやべぇのは分かりきってるけど。神父さんは「人間は弱いものだ」と言ってイルを遠く見えない所へやろうとした(カトリック的!)。最後に手を汚す先頭を切らされるのは体操選手なんだな。
演出・舞台美術好きだわー楽しい。敢えて日本語の看板類が面白い。そっか五戸さんあの『どん底』の演出家だ!衣装の効果も凄い。黄色いもの着て行ってなくて良かったわ。
戯曲が凄いのか演出が凄いのか…この寓話み・ダークファンタジーみ・作り物っぽさ?は、演出によるところが大きいかも。
そう言えば死刑が行われた場所って劇場だったよね。「人生は真剣、芸術は豊かさ」みたいな言葉(うろ覚えだけど)が掲げてある。
(6/9舞台写真で確認して加筆:「人生は真剣、芸術は活力」でした。)
走る列車。資本主義とか社会のシステム。降りられない列車だ。
ヒューマニズムとか、ヨーロッパ的なとか、すごい皮肉。
クレールはそんなに復讐に燃えてる!というふうにも見えないんだよな。なんでだろ。とにかくチャーミング。醜く憐れな感じがしないからかな。
ギュレンがどうなっていくか、クレールは全てを見透かしていた(心臓麻痺の診断まで)。それを超然と見てた。事態は分かりきっている結果へ向けて粛々と進んでいった。彼女は既に恨み憎しみ怒りなどは通り越して置いてきてしまっているようだった。もう人間の域にいない(殺されたって死なない)。神とか摂理とか?そういう存在に思えた。あくまで彼女はこの物語の装置であって、同情したり心情に寄り添うことを拒絶(彼女ではなく作者によって)されているような。
そう、クレールが強い憎しみ・復讐心であの結果を成し遂げたと考えるよりも、自然な成り行きでああなったよね〜と思う方がずっと怖い。
相島さんのイルは引きこもって考えてるうちに何かを悟った…と言うか、彼もこのシステムに取り込まれたのか。でも外から見る視点も持ったままではあるからツライ。
家族がなぁ…特に葛藤とかする感じもなく黄色くなっていくんだよな…いやぁ当然そうなりますよねって言われてるようでめちゃめちゃ怖い。
クレールはいわゆる復讐劇の主人公な描かれ方では決してないと思うし、イルやその家族も「物語なら通常このように描かれる筈だ」という予想・期待・典型どおりには敢えてしない、観客に肩透かしを喰わせ予定調和などは生じさせないことを狙っているような気がする。
そう言えば先生がクレールに対して「あなたはメディアのようだ」みたいなことを言った時クレールは「え〜全然そんなんじゃないんですけど〜」みたいな顔をしてた。そういう類型化できないことに直面した時いちばん打撃を受けてしまうのは知識人なのかもしれないよね。
観ている間じゅう「これあなた方が現実社会について考えるための演劇という装置ですよ物語に浸るなんて許さねぇ」と言われてるようだった。ブレヒト的っていうの?
パンフの配役表「来訪する人たち」「訪問される人たち」「その他の人たち」「煩わしい人たち」ってなってるの面白い。
判決のくだりのテイク2をやるの馬鹿馬鹿しいの極みだったけど、「煩わしい人たち」とそれに煩わされてしまう人たちへの批判かな。
作者デュレンマットについての解説や特に亀田達也氏の寄稿は大いに作品理解の助けになるし、シリーズ3作のチラシビジュアルの詳細解説ページもあったからパンフは買って正解だった。
社会が全体主義に染まっていく様子を描いた作品として戦後のドイツでヒットした本作は、ソ連でも資本主義を揶揄する芝居としてウケていたらしい。
普遍的に、人間社会とはこのようにして変貌するもんだってことだ。うん、我々はそのことをよく知っているよ。だからこの劇を観て怖くてたまらない。