J’aime le théâtre♡

観劇日記。

『next to normal』2回目

お待ちかねのAチーム。やっぱこのチームで観れて良かった。解像度が格段に高く感じた。

瞳子さんと浩暉さんの技術は勿論なんだろうけど年齢と経験値は大きい。ダイアナとダンに断然説得力がある。ダイアナは可愛いおばちゃんだったし、ダンはすごく取り繕いながら(just for another day😔)家庭を維持しようと頑張ってる哀しいおっさんだった。

海宝くんと昆ちゃんもめっちゃ息子だしめっちゃ娘だった。歌唱での繊細な表現。ふたりがハモるのとか迸る力強さで感動レベルだし。歌以外の、昆ちゃんナタリーが親に対してキツい言葉を投げつけるいじらしい尖り方とか、黙ってジッとダイアナやダンを見つめてる海宝ゲイブのいたたまれなさもたまらんし。

新納さんはこの物語の受け取り方を分かりやすくしてくれるなぁと思った。Dr.マッデンが胡散くさいのではなく本当に真摯に患者と接してる医師なんだと思えたんだよね。それってもしかしてDr.ファインが赤巻髪青巻髪とかふざけちゃうくらいヘラッヘラだから対比が効いてるのかも。あんなのがFineで真摯な先生がMaddenなんて、What’s NORMAL?という問いにも通ずるよな。あと、記憶を無くしたダイアナにダンが息子のことを話していないと知ったDr.マッデンが「あなた方はもっとしっかり話す必要があります」と言った時ちょっと怒った様子だったのも、あぁこの人いい先生だなと思ったポイントだったよ。

それと、新納さん瞳子さんの大阪おばちゃんコンビwはコミカルシーンでちゃんと笑わせてくれる!

こんな中でヘンリーの橋本くんは技術がまだまだなんだけど、でもまぁこの役にはこの家族とは異質な空気が出てるのが良いのかもしれないな。


高解像度!と感じたのは私自身理解も深まってるし台詞や歌詞がたくさん入ってきたり細かい演技に気づける余裕ができたからというのも勿論あるとは思うけど。

冒頭ダイアナのゲイブが死なないかと心配しているという件なんかは一見母子の他愛無い遣り取りに見えてるから2度目観劇のドッヒャーン😨ポイントだよなぁとか。


ゲイブ I’m Aliveで「僕は青い炎」って言ってたね。

そうかオルゴールも青いもんな。

でねダイアナは息子を亡くした夜、青いナイトガウンを着てたんだ😢

赤かったダイアナが青を受け入れて(馴染ませて)紫になるんだね。


ダイアナとナタリーがシンクロしたり、ダイアナ-ダンとナタリー-ヘンリーがシンクロする様子がすごく目についた。(2幕最初ではダイアナとナタリーが其々「ここに居たい」と叫んでたよねロックなナンバーで)

嫌だよな。

心理療法の時にダイアナの母親のことも少し語られていたけど、なんかそういう性質が母から娘へ遺伝してる?受け継がれてる?って考えるのとても嫌。

「活発」と言ってたけど、つまり"抑制できない/暴発させやすい/精神疾患になりやすいという性質が遺伝するあるいは環境によって受け継がれる、と描かれているよね。そりゃもうナタリーにとってこれは不安だし恐怖だよ。

このタイミングなのでミセスジョンストンのことも思い出した。ダンスがしたかったんだダイアナも。ナタリーの恋模様を覗いて昔を懐かしんだり。

主婦・妻・母親であるために圧し殺しているものが多いっていうの

(ダイアナがdisった)欲求不満の主婦たちとあなたの問題の根底は一緒なんですってDr.マッデンに言われた時なんか傷ついたわ。

なんかね、女はみんなダンスをしたがってると見られるのはちょっと気分が悪いな。

まぁ主婦に限らず、normalであろうとしていろいろ圧し殺している現代人の闇をテーマにしているんでしょうけど。


ダイアナの記憶を塗り替えてしまおうとまで考えたダン憐れだしやっぱ愚か。酷い😔

ゲイブを出現させたのはダンのせいじゃないかな。

良き夫であろうと献身的な、ホント"いい人" Goodmanさんで、愛なのか誓いを守るためなのか分からなくなっちゃったとか言ってたけど、とにかく"あるべき姿"夫婦""家族でいることに必死だった。利己的というのでもなく本当に良かれと思ってね😔

てか、♪It’s gonna be good〜とか軽快に歌ってたけど、元来何とかなるさ〜みたいな楽観的な性格だったんだろうな。朗らかでいい人で憎めないし、ダイアナだって絆されちゃうと言うか気を遣っちゃうこの人の言うこと聞いてあげないの可哀想って思っちゃうよね😔(ますますヘンリーと重なっちゃって心配になる😔)

結果的に、ダイアナを縛りつけてた。

ダンはダイアナに依存してたとも言える😔


予期せぬ妊娠・嵐のポートランドでの駆け落ち結婚に実は(意識下では)納得いってなかったところからダイアナの"圧し殺し"は始まってた(そこらへん隠そうとした辺りダンにも後ろめたさはあるんだな)。優しくて情熱的なダンを前にダイアナも当時はそれで良いと思っていただろう。可愛い息子も生まれ、でも喪い、何とか立ち直ろうとまた子供を作ることにしたのも(ダンの提案だったと思うけど)多分その時には良い選択だと思えていただろう。だけど全て、未解決の問題を覆い隠してどんどん上塗りしていくことでしかなかった。我が娘を手に抱くことができなかったことからダイアナの""は顕在化した。でも息子を亡くした悲しみの更に奥・根底にある原因が追及されることはなく、フォーカスは双極性障害の症状を抑えるという所に置かれてしまい、また更に上塗りは続いてしまった。

常に良かれと思いながら、何とかしようともがきながら、脆い家を建ててしまったんだよね建築学科の2人だったのに😔


ダイアナは出て行く選択。

ひとりになったダンがI am the oneのメロディでゲイブの存在を認めていくのたまらんかったよ。最後に赤ちゃんを抱く手つきになったの😭ゲイブガブリエル息子って。

名前が呼ばれるの本当にこの1か所だけだったわ。ゲイブもダンに抱きついてたね😭やぁパパって😭


ゲイブが18歳で現れた(現れたのはきっとここ最近だよね。カレンダーが捲られなくなった去年の4月からか?)のはもし生きてたらという年齢でもあるけど、ダイアナとダンが出会った頃の年齢、問題がその時点に起因していたからかも。

ダイアナがあのゲイブと向き合うことは即ちダンと向き合うこと(そして別れること)になったし、ダンはあの後ゲイブ=過去の自分自身と向き合っていくことになったのかもしれない。(Dr.マッデンの助けを借りたかしら)

記憶喪失中のダイアナがヘンリーを見て「誰かに似てる」と言う場面があったけど、同じ年頃だからゲイブと重ねてるんだと思ったけど若い頃のダンを見てもいたんだな。

ゲイブ=ダン=ヘンリーというイメージに、またナタリー-ヘンリーの将来が心配になっちゃうよ😔


ラスト、赤いシャツのダンとゲイブ、紫のダイアナとナタリー、インナーが紫なヘンリーと赤のDr.マッデンが並んで、背景は青・赤・紫が綯い交ぜになったような、夜明けの空のような色だった。電球の星も光ってたかな。

みんな取りあえず歩み出したところで、ナタリー-ヘンリーだっていつかやっぱりダイアナ-ダンのようになってしまうんじゃないかとも思うし、迂闊に"希望"なんて言える気持ちにはなれないんだけどね。ちょっとズルいなあのラストは。


記憶が無ければ苦しみもない、

愛すれば痛みも生じる、

人と関わることってそういうリスクがあるんだけど、生きてる限り人と関わらない訳にはいかない。


精神医療は欧米ではポピュラーなだけに問題点も挙がっているのだろう。

安易な薬物処方とかただ病名を付けるだけとかマニュアル的決めつけ(4ヶ月以上続く悲しみって当たり前だよな)とか。

ダイアナの病気は糖尿病などと同様な慢性疾患だから治療を継続しないといけないんだね。ふむふむ。

欧米と日本の観客というだけでなく、精神医療が身近であるかどうかで、この劇の感じ方はだいぶ違うんだろう。

私は正直、病名を付けられちゃうから病気になっちゃうんじゃないですか?とかも思ってしまうし、薬を飲むことも何となく危ない気がしてしまうし、おそらくちゃんとした理解からは遠い所に居るんだと思う。

Dr.マッデンのカウンセリングでダイアナの後ろのカーテンが開いてドワッと空間が見えた時ちょっと怖いなって思っちゃったよね。ナタリーが「私の頭は誰にもいじらせない」と言ったのにも賛同する。


病気に苦しんでいる人が必要とする薬や治療

と並べたらいけないのかもしれないけど、私にとって演劇はセラピーですよ。

『ブラッド・ブラザーズ』2回目

2列目センターでどっぷり!


堀内さん静かに登場した途端、無言で俯いてる佇まいだけで深い深い悲しみが押し寄せるように伝わってくるすげぇ😳

嘘だと言って 他所の話とってツラいな😨その時ナレーター舞台下でガッツリこっち見てるし。


迷信深いミセスジョンストン。

uneducatedな女性!

ダンス(ロマンスや物質的贅沢)に焦がれる気持ちを燻らせていて、身持ちが悪くて、不妊に悩む人のこととか考えられないし、カタログ見て払えないのに買い物しちゃって差押え喰らってもケセラセラだし、14歳ミッキーを補導した警官に頭下げながらこっそり中指立ててるし(しかもミッキーも一緒に)

逞しいとかバイタリティあるって良く言えばそうだけど、こんなんだからダメなのよなー😩と思っちゃう。

スラム街を潰す都市計画で郊外に団地を与えられて、勝ち組になるとか浮かれてるけどいやいやただ当てがわれてるだけですから浅はか😔(この1幕ラスト何となくフォーメーションとかが所謂ミュージカルっぽくて堀内さんのステップも可愛くて楽しい気分にさせられてしまうの罪深いよ💦)

せめて子供たちはここから抜け出させようとか思いもしないんだなって😔これが階級社会というものか。

エディにロケットをあげるのとかもあまりに思慮がないよなぁ😔


一方、ミセスライオンズも罪の意識と迷信に囚われどんどん壊れていったよね。

経済的に恵まれ割と何でも思い描いた通りに順調な人生を生きてきたがここへ来て子ができないという挫折にぶち当たってしまった。

当初はミセスジョンストンを黙らせる材料として迷信を利用していたのに(まぁそれもちょっと恐る恐るな感はあったけど)、いつしか自分も理性的な判断や行動ができないほど精神的に追い詰められてしまった。大丈夫!って思う強さも何食わぬ顔で過ごす不敵さも持ち合わせてはいなかった。

ミッキーにリンダの密会現場を見せたのも彼女だしなぁ。もう、みんな道連れに不幸にしてやる!みたいな精神状態なんだろうか。


そしてリンダも、しっかりした子だったけどやっぱり男に寄り掛かって生きるということしかできなかった。


ホントこれ"女性たちの悲劇"なんだよな初見でも思ったけど。

女たちがこんなだから子供たちもこうなっちゃうし社会は変わらない、と私には見える。もちろん女たちがこんななのは構造の問題だとは思うよ。根深い。


「何で俺を手放さなかったんだよ俺はあいつになれた」で誤発でエディを撃っちゃうミッキー(銃ヘタだったもんな)…その瞬間に舞台下中央私の目の前にいたヤッキーさん警官に撃たれる。

衝動的に銃を手にして走って来ただけで犯行計画を練った訳ではないし銃に弾が入ってるかどうかだって分かってない(こんにちはと言うエディにおもちゃの銃を向けて飴出せって言ってた出会いの時と同じ構図😭)、警官隊に囲まれてこんな大事になっちゃってちょっとビックリしてる、うっかり誤発でエディを撃ってしまう、もぉこのダメさ残念さ、手紙の剛志と重なったよ😔

ミッキーの言葉にショックを受け、舞台下に現れたナレーターに気づき凝視しながら舞台中央、双子の間に来てへたり込むミセスジョンストン。強い嘆きが湧き上がってきていることはその地に響くような歌声からわかるけど、嘘だと言って芝居だと役者だとなんて虚しく言うことしかできない。

迷信の通りになってしまったと、あなたたちは双子だと言ってしまった自分を呪っていたかもしれないよね。エディにもミッキーにさえも駆け寄ったり腕に抱くこともせず2人から距離のある位置にしゃがみ込んで。

そうじゃない!呪うべきはその"抜け出せなさ"なのに!


そんなミセスジョンストンを見ていたらキッズゲームが遠くに流れて(この挿入は天才だと思う)、嗚呼!って打ちのめされたところから全然立ち直れないうちにカテコになって、あ芝居だったって思ったら、緩んで泣けてきた。


キッズ・ゲーム やばいんだよ。

最後にサミーが水風船を破裂させてみんながブワッと倒れるの、核の冬の光景だった😨

「でも指先をクロスして10秒数えりゃ 起き上がってもいいから 最高!ゲームなんだし」


どーしょーもない"構造"は我々の現代にだってまだ存在しているし、ゲームや芝居と違って現実では本当に人が死ぬ。エスカレートして人類滅亡を招くかもしれない。取返しのつかなさに我々は気づいて歯止めを掛けることができるのか?

客席に黙って座って観てることと、酷い現実を(ナレーターや警官たちと同じ位置で)他人事のように見ていることが重なる😔


そう「医者がそう言ったから」とすっかり思考停止して薬を飲み続けるミッキー哀しかった😔「薬を飲むとあんた見えなくなっちゃう」とリンダに言われて「だから飲むんだよ見えなくていいように」って言ったのも堪らなく哀しかった😔

薬に溺れまるで死んだようになってしまったのもマリリンモンローだとミセスジョンストンは歌ってこれは巧いなと思っちゃったけど、でもこの精神医療や薬物療法を一概に毒と決めつけるのも無知かもしれないよなぁとも思う。


しかし、かっきー凄いな!毎ステージ身も心も削ってるよね。左膝にテーピングしてた。全力で7歳だし、イキってるけど純で小心者な10代サイコーだし、投獄され壊れてからのミッキーはそれまでの輝きを一気に封じて見てらんないくらい😢ラストは汗と鼻水ダラダラで😢自分に唯一残されたリンダをよすがとして薬やめたんだね。最後の希望だったんだよね。リンダを責めることもできないんだけどさ女の弱さよ😔

あとね、かっきー歌上手いな!と思った。歌唱に不安が一切無いのって、歌がちゃんと台詞として入ってくる大前提だよなーと改めて思う。核の冬から起き上がる時もかっきーのリードだったね。目の前に倒れてたから、ファルセットがオフマイクみたいな感じで聴こえてアッてなった。


全体的にキュキュッとクリアになった気がしたのは公演を重ねた進化だろうか、私の理解が進んだからだろうか。

7歳シーンのアンサンブルが少々頑張り過ぎに見えて心地良くなかったのは馴染んだように思えたし、14歳の造形が好きではなかったけどそのシーンも少しサラッと目になってた気がした。

大人になって双子の格差が出るところをもっと丁寧に観たかったと初見の時思ったけど、ミッキーが解雇され失業者になってからの落ちぶれ方、Mrs.Jones!の曲で「それもまたご時世」と歌われてる短い間に変化が見えたわ。あれよあれよと言う間にミッキー惨めになった。大学に行ったエディと離れていた半年で2人の世界がもう全く違うものになってしまったことがちゃんと悲しかった。

エディはまだ子供のまま。階級違いのミッキーやリンダを遠去けたくなるような気持ちはまだ生じてないんだね。てか、もしかして大学の友人たちとはあまり馴染めなかったのかなぁ。子供の頃も同じ学校や近所の子たちと仲良くなれなかったのかしら。ライオンズ家は決して上流ではなく、ポッと出の資本家階級なんだろうな。そっちのコミュニティではエディはちょっと見下される立場だったのかもしれない。あぁそう考えるとまた切ないね😢ウエンツくんの芝居好きよ誠実で。


ミッキーとエディが出会ったり惹かれ合ったり同じ女を愛したりしたのは双子ゆえのと考えることは敢えて避けたいよね。血に導かれたとかって思いたくない。そんなんたまたまなんだよ。物語を見つけたがるのは人の性だけど、囚われるのは嫌じゃん。

現実はどうせ良く出来た物語にはならないんだから、中途半端な物語なんて見つけない方が私たちは自由じゃんね。

そうか、ナレーターって、物語を欲するという人間(社会)の性質の具現化なのかもな。

とか言うのは、私自身物語を見つけてヒャハってなりがちな自覚あるからだったりするんですけどね😅

サミーがミッキーに持ち掛けた強盗の報酬50ポンドって、ミセスライオンズがミセスジョンストンに渡そうとした金も50ポンドだったじゃん😨とかさ。こういう符合が劇中に散りばめてあるのは好物ですよ😝


あ、ナレーターの歌とキッズゲームって同じ旋律なんだ!っていうのも、後から気づいてうわっ😨て思ったね。

ロンドン版のCDちょこっと聴いたけど、編曲かな?歌い方かな?全体的な感触が何か違うね。思いの外クラシカルなミュージカルに感じる。あと、ラストにキッズゲームを持ってきたのは鋼太郎さんのアイディアなのかしら?あれはマジ優勝。床面照明でステンドグラスみたいになってたのも良かったよね。


ホント、堀内さんが泣き腫らした顔を上げてくれて、かっきーやウエンツくんが起き上がってニコッとしてくれて、一路さんもチャーミングな笑顔で出てきてくれて、めちゃくちゃホッとして泣けちゃったよな。

良い観劇体験だったな。

『next to normal』

TENTH以来の念願叶ってフルで初観劇。まずは新チームの方から。


えーなんか変な話やったなー。

ダンのやってることとかあり得ないおかしいし、精神科医もおかしいんじゃない?と思うし、ダイアナもナタリーも誰も彼も依存が過ぎるでしょ。

そんなんそうすればいいじゃん!ていうラストに辿り着くのになんでそんな大騒ぎしたかな?って感じ。

物語に入り込んで見よう共感しようとすると頭おかしくなるわこれ。

ここまでノーマルに拘ろうとする感覚、今やちょっと古いような気もする。


こう見るとTENTHはけっこう端折ってたんだな。訳詞も新たにしたっぽい(「忘れようもない」とか変わってた)。あれ?ドクターの電気ナンバー無くしたの?

(↑これoffで上演されて以降削られたナンバーで、TENTHの時は新納さんがすごい好きな曲だからって第2部の方で歌ってたんだっけ?そうだったかもw)


まぁゲイブは魅力的で手放したくない息子だったね。白いタキシード着てダンスしちゃったりもするのか。甲斐くん歌上手い。てかみんな歌はめっちゃ上手い。


盆も駆使したセット、いろんな空間を瞬時に表現できてて良かったよ。家の輪郭も伸び縮みすんのね。あ、家の枠が可変なのって示唆的なのかも。


ダイアナの赤いドレス、ゲイブのTシャツはパープルだったのが消されそうになると黒になってダンが赤シャツになって以降は赤になった。

ラストシーンではナタリーとヘンリーとダイアナがパープル。ダンとゲイブとDr.マッデンは赤。ナタリーとヘンリーの青いドレスとタキシードも印象的。診療中のダイアナとDr.マッデンはモノトーン。からの、ゲイブの白タキシードか。ダイアナが記憶を無くしてた時は薄いブルーだったね。あ、ナタリーは最初から赤いリュックを持ってたな。コートはグレーのような薄いブルーのような。


結局ゲイブって、ダイアナが自分とダンの問題を直視しないために作り出した幻影なのかなぁ。ナタリーまじ被害者。今度はまたパパが顕現させたゲイブと暮らしていかないといけないんだもんねぇ。ヘンリーが側に居て助けになってくれるといいけど。


でもヘンリーの負担が大きくない?ナタリーのこと好きだからって、17歳?とかの子にそんなの背負わせるの重いよねぇ。心配になってしまう。

Perfect for youとか言っちゃうの危うくない?Perfectとか目指すとツラくなっちゃうじゃんいつか。あ、でもこれって、世間一般のnormalなんかじゃなく君をしっかり見た上での君にとってのオンリーワンになれるよ、みたいなことなのかな。

そう言えば訳詞全体的に、結構キーフレーズを英語のままで押し切っちゃってる感あるよね。

あ、それとも、あんなんで抜け抜けとPerfectとか言っちゃういい感じのいい加減さが良いってことかな?

あるいはTENTHの時に思った、若気の至りではあるけれどとにかく漲ってる強さ、みたいな。


最初からずっと気をつけて見てたけど、ゲイブと目を合わせるのはダイアナだけなんだけど、いやダンも一瞬見たよね!って思った時あったんだよな。

後でパンフの対談読んだら、ダンは見えてるけど見えないふりをしてるって言ってた。そうねその感じに思えたよ。


あぁ、ダイアナの「病気」に関する理解が私には足りてないんだなと思う。病気なんだもんね。なんでそんなややこしくなっちゃうかなーとか言っちゃいけないんだな、たぶん。家族に対してもね。なんでそんなに振り回されるかなーとかナタリー逃げればいいじゃんとか言っちゃいけないんだな。


双極性障害とは - 原因、症状、治療方法などの解説 | すまいるナビゲーター | 大塚製薬

ここにも「完璧を求めちゃいけない」って書いてあるよ?

でもこの症例とか見るとダイアナそのものだね。遺伝的に自分もそうなっちゃうかもって子供が心配するのもよくある問題なのかもしれないね。

観ててうへぇ頭おかしくなりそう💦これ心が健康じゃない時に観たらヤバくない?って思ったけど、そっか、この病気の人の感覚を音楽とかビジュアルとかで体感させられてるんだな。

折しもバルセロナかどこかでN2Nの新演出?イマーシブ版?上演が発表されてた。イマーシブとか!更にこの病気体感度合いが高いってちょっと怖いよ。

『新・三国志』2回目

ああ「継承」だ。最後の團子関平ちゃんの口上を観ててハタと気づいた。これこそこの物語を歌舞伎で観る大きな意義だ。

一昨日のBB昨日の手紙ときて今日はこりゃまたImagineな話かよと思いながら観てたんだけどね、澤瀉屋のチーム感・作品を育ててきてる感じ・猿之助さんが先代から受け継ぎ実践していること・そしてまたそれは團子ちゃんのような次世代にとか「継承」のお手本みたいなものを目の前で見たらさ、そうか「夢見る力」だっていつか叶う時まで繋いでいけばいいのかもしれない、繋いでいけるのかもしれないって、希望みたいなことをここ3日間で初めて感じたのよ。そしてそれが「何故にこれを歌舞伎で?」という前回観た時に考えていたことともバチッと繋がったからなんかちょっとうわぁっていう体験になった。


テンポとかメリハリとか良くなってたのかな。前回より断然観やすかったし歌舞伎として楽しめた。

でもやっぱり例のボーイズトークシーンには

???だけどね。

真の漢、とかもねぇ


香渓のお姿もだけど第一声から惚れ惚れするなぁ。それだけに、なんであんな死を選んでしまったのか悲しい。兄の心には辛うじて一筋の光を残せた(司馬懿の提案を断り礼を尽くして関羽を迎えた)のかもしれないけど、あまりに残念。あなたならもっと何かできた筈と思っちゃう。


司馬懿は、曹操を輝く星とするための闇になる覚悟だったんだな。

『手紙』3回目

今回3回ともL列だったな。今日は上手通路席だったので視界すこぶる良好。佳きマイ楽であった。


あー貧困とかuneducatedとか社会の責任とかがこれまでになくぶっ刺さる。昨日BBを観たせいだ。

剛志が犯行時あまりに無知な子供の顔だったこと(手触りの良いソファに座って豪華なリビングルームを暫し満喫しちゃったり)、抱えている怒り(自分ではどうすることもできず自己嫌悪や自己否定という形になってしまっている)、直貴の他に何も無いという境遇だったこと(ミッキーはそれで犯行に及んでしまうもんね)…憐れで哀しくて仕方なかった。

「なぜ兄弟は引き裂かれなければならなかったのか」って、ラストでは思いっきり社会の責任を問うているじゃんね客席に照明当てて😔


1幕ラストもキツかったなぁ直貴の怒りが。ハッと兄の存在(舞台前方中央でうずくまるspi)に気づき、捨てると決める😔

殴りたいと言って一緒に怒ってくれるユウスケが居ることは本当に救いだけど。


慰問に行ったのは、もう忘れるし訣別するけど、決して切れることはない縁を知らせるために、確認するために、だったんだな😢


決して消えないけど終わりにする勇気。

兄弟の縁もそうだし、忠夫にとっての憎しみもそうだ。忠夫もこの10余年悲しみや憎しみから逃れたいのに逃れられず壁の中に居たような感じだったんだろう。

絶対に消えないんだけど、未来のために訣別する。勇気が要るよな。つらいよね😔

「お互い長かったな」って忠夫の言葉😢


三人は、あゝあいつに俺のつらさは伝わっているんだと思えたところで気持ちが鎮まったのか。

それは何となく分かるかも。あの人は私の考えてること感じてることちゃんとわかってる筈だと思えることって自分の精神衛生のために大事。


あぁそうだ、慰問の時、兄弟は実際ちょこっと言葉を交わし合ったように見えたな。違うかな。目と目で会話しただけかな。でもステージ上からだけでなく二人が向き合った瞬間があったように思えたよ。

別れを告げ合った。

剛志は「じゃあな」みたいな笑顔(あの時の「行ってくるわ」の仕草)を直貴に向けた後、ギュッと表情を硬らせて、歩いてく。


社長の歌声は今日も沁みた。

なんと温かく優しいこと😭陽の光のようだったな。


直貴が初めて行ったライブで音楽に救われるシーンやっぱり素晴らしいな。相変わらずここはずっと良大くんを見てるんだけど、直貴の受けた衝撃と心が解けていくのがなんかちょっと異次元にリアルに伝わってきて凄かった。見ている私まで心が晴れていくような気がしたよ。

そこにちんまり座ってるその人は直貴でしかなかったよね。人の心が動いた瞬間を実際に目の前で見た感じ。スペシウムの曲に不恰好にノる姿も本当に直貴だったし。すごいな。


あとね、電機屋さんソングの最後なんて直貴まんなかでバシッとポーズ決めたのに目が死んでたw良大くん流石だわー。


直貴はそれまでも懸命に生きてたからね、由美子やユウスケや社長と出逢えた。そういうのって直貴自身が引き寄せてるんだって信じるよ。

高校の先生も優しかったんだね。ずいぶん悩んでたんだ。でも結局は「諦めなさい」って言っちゃったけど。その後彼女も苦しんだのかもしれないな。そっか、直貴のことずっと気に掛けて遣り取りもしてたから、剛志に聞かれたとき連絡先を知ってたんだ。


直貴と違って、剛志は誰とも出逢えなかったんだよね。

客席通路を歩いていく剛志の姿は、あの後の彼の人生の様子だ。

誰かと、出逢えますように😭


3/27千穐楽に共演者の皆さんへ手書きの手紙を渡す良大くん🥰

手紙は僕を育てたんだーっていう気持ちからだろうな。

手紙繋がろうとする気持ち。

きちんと伝わるかわからないし、迷惑かもしれないとかも思うし、だから怖いけど、どうにか繋がりたいという願いを込めて、一文字一文字、綴る。細い細い糸。

久しぶりに良大くんにお手紙書こうかな。

『ブラッド・ブラザーズ』

へぇーこれ実質主演は堀内敬子さんだよね。めっちゃブラボー。ダンスも可愛い。


ママは何ひとつ悪いことしてないじゃんね。悪魔みたいな運命に着け回される筋合いなんて全然ないのに。聖書に手を置いた"契約"や迷信を怖れる必要なんてないのに。

気に病むことがあるのはミセスライオンズの方で。でも彼女も、上流家庭の奥様として"幸せな家庭"という幻影を追いかけていた哀れな人だ。


なんかなぁ愚かで可哀想な女たちの話だったなー。ミセスジョンストンもミセスライオンズもリンダもね。抜け出せない女たち。


血に縛られるのは良くないと思うよ。なんかさ、血の繋がりにそんなに幻影を抱くのって物語の弊害なんじゃないかな。人の社会を形成する物語が過剰というか苦しい方向に作用してしまっている例ではないかと思う。

育てたんだからエディのママはミセスライオンズだよ。産むことより育てることの方が何百倍も大変だし子の人生に関わるじゃんね。

あんな生活苦の状況で赤ちゃんを一人手放さざるを得なかったミセスジョンストンだって罪の意識を背負うことなんてないでしょ。殺したとか山に棄てたとかじゃないんだし。ママたちふたりとも"我が子神話"みたいなものの犠牲者だよね😔


ナレーターはルキみたいなトートみたいなだったし(歌い上げるカッコいいロックナンバーが多いしあの役気持ちいいだろうな伊礼さん)、え?分厚いデスノート降ってきました?wひゃー血と血を交わすスリミですか!?ってツッコミどころ多かった😆

とりあえずキャスティング素晴らしい。

かっきーウエンツくん木南ちゃんの3人とか最高だと思うよ。7歳や14歳の芝居も嫌味に見えないし良い空気感だし。

ヤッキーさんともう一人明らかなオジサンが子供・学生を頑張ってるのは笑いにもなってた。(7歳の運動量は大変だわwヤッキーさん応援したよ!)

わぉ!ライオンズ夫妻の一路さんと壮麻さんは東宝初演のシシィとフランツか!そりゃあナレーターに付きまとわれてる図が楽しくなっちゃうねw


手紙もそうだけどさ、貧困やuneducatedについて考えさせる作品なんだけど、実際そういう境遇にある人たちにはミュージカルって極めて届きにくい媒体だよな。

あぁそもそもそういう当事者を観客として想定はしてないか。あくまで富裕層に対しての啓発なのか。なんだかなー。

手紙が中学生対象のクローズド公演を打ったり、BBもシングルマザー/ファザーにミラチケ提供してるんだね。物語は誰に届くべきなのか、たぶん作り手もジレンマを感じてるんだろうな。

あ、そうか、だからBBあの時ナレーターや警官隊が客席に降りてるんだ😨かっきーの客席降りもあったけど、ファンサだな〜って思ってたけど、あれはもしかしたら少数いるかもしれない当事者のためのものなのか。あゝミッキーが必死になって探しても仲間や助けてくれる人を見つけられない、という描写にも見えてくるね😢黙って座って見ているだけの我々観客はミッキーの目に映る社会そのもの😔

さっき「なんだかなー」って思ったけど、この客席にいることの"居心地悪さ"ね。これはちゃんと感じるべきものなんだな。


撃たれても指でクロスを作ってれば10秒経ったら生き返れる子供のゲーム、それとは違う現実の重さがのし掛かるラストのリフレインはエグいな。


7歳エディ出会いの時きょどっててズボンとかあちこち握りしめちゃってたの可愛かったし、お馬がめっちゃ上品だったのツボ🤣

14歳エディは、エロへの興味の出し方とかもあのお馬みたいに"育ちの良さが意図せず出ちゃう"感じにしてミッキーとの差異が見えたら面白かったんじゃないかなーと思う。


大人になってからの2人が互いに違う世界の遠い存在になっていく様子をもっと丁寧に時間かけて観たかったね。


かっきーFCのアフトはウエンツくんが進行役をしてくれたから聴きやすくて楽しかった。ナチュラルなかっきーを見れた気がするよ☺️


ツイッター見てて思うのはさボロボロになっていくかっきーみんな大好きなんだな😅

『千と千尋の神隠し』

久しぶりの帝劇。


あれ?歌わないな?音楽と身体表現だね。

てか、ミュージカルじゃなかったんだ😅

生オケだけど隠れてるし勿体ないな。

ダンスや身体表現とか道具(パペット含む)使いとかが舞台作品としての面白さだね。

カオナシ(声なく1人の時)素晴らしい。ヌルッとした動きも面白かったけど、電車のシーンとか銭婆のとこでの佇まいとか、寂しさを漂わせてるの良かったなー。辻本さん流石。

三浦くんのハクは美麗で清廉で良き。バレエの動きを存分に生かしてた。ジャンプ回転も素敵だったよ。ニギハヤミコハクヌシって名前を思い出すシーンキュンキュンだったわーカテコ真ん前で嬉しかった❤️

歌うと思ったから萌音ちゃんで取ったんだけどwでも身体づかいも上手くて感心した。カテコの時もすっごいぴょんぴょん走ってたし😊


カナガワで観てたやつの超豪華版じゃん!と思ったね。世界観や表現手法に通ずるものがあって。🐷とか🐉とか🚃とか既視感w

ねじまきも思い出した。


でもね、帰路口ずさんじゃってるのはアニメの主題歌なんだよな😅


油屋の世界はあゝ資本主義!と思ったね。

電車のシーンとても印象的だし、好きだな。アニメでも千尋カオナシが並んで座ってるとこが記憶に残ってたけど。銀河鉄道の夜を思い起こしたりもして、だんだん降りていく黒い乗客たちは死者?とか思った。