J’aime le théâtre♡

観劇日記。

『next to normal』2回目

お待ちかねのAチーム。やっぱこのチームで観れて良かった。解像度が格段に高く感じた。

瞳子さんと浩暉さんの技術は勿論なんだろうけど年齢と経験値は大きい。ダイアナとダンに断然説得力がある。ダイアナは可愛いおばちゃんだったし、ダンはすごく取り繕いながら(just for another day😔)家庭を維持しようと頑張ってる哀しいおっさんだった。

海宝くんと昆ちゃんもめっちゃ息子だしめっちゃ娘だった。歌唱での繊細な表現。ふたりがハモるのとか迸る力強さで感動レベルだし。歌以外の、昆ちゃんナタリーが親に対してキツい言葉を投げつけるいじらしい尖り方とか、黙ってジッとダイアナやダンを見つめてる海宝ゲイブのいたたまれなさもたまらんし。

新納さんはこの物語の受け取り方を分かりやすくしてくれるなぁと思った。Dr.マッデンが胡散くさいのではなく本当に真摯に患者と接してる医師なんだと思えたんだよね。それってもしかしてDr.ファインが赤巻髪青巻髪とかふざけちゃうくらいヘラッヘラだから対比が効いてるのかも。あんなのがFineで真摯な先生がMaddenなんて、What’s NORMAL?という問いにも通ずるよな。あと、記憶を無くしたダイアナにダンが息子のことを話していないと知ったDr.マッデンが「あなた方はもっとしっかり話す必要があります」と言った時ちょっと怒った様子だったのも、あぁこの人いい先生だなと思ったポイントだったよ。

それと、新納さん瞳子さんの大阪おばちゃんコンビwはコミカルシーンでちゃんと笑わせてくれる!

こんな中でヘンリーの橋本くんは技術がまだまだなんだけど、でもまぁこの役にはこの家族とは異質な空気が出てるのが良いのかもしれないな。


高解像度!と感じたのは私自身理解も深まってるし台詞や歌詞がたくさん入ってきたり細かい演技に気づける余裕ができたからというのも勿論あるとは思うけど。

冒頭ダイアナのゲイブが死なないかと心配しているという件なんかは一見母子の他愛無い遣り取りに見えてるから2度目観劇のドッヒャーン😨ポイントだよなぁとか。


ゲイブ I’m Aliveで「僕は青い炎」って言ってたね。

そうかオルゴールも青いもんな。

でねダイアナは息子を亡くした夜、青いナイトガウンを着てたんだ😢

赤かったダイアナが青を受け入れて(馴染ませて)紫になるんだね。


ダイアナとナタリーがシンクロしたり、ダイアナ-ダンとナタリー-ヘンリーがシンクロする様子がすごく目についた。(2幕最初ではダイアナとナタリーが其々「ここに居たい」と叫んでたよねロックなナンバーで)

嫌だよな。

心理療法の時にダイアナの母親のことも少し語られていたけど、なんかそういう性質が母から娘へ遺伝してる?受け継がれてる?って考えるのとても嫌。

「活発」と言ってたけど、つまり"抑制できない/暴発させやすい/精神疾患になりやすいという性質が遺伝するあるいは環境によって受け継がれる、と描かれているよね。そりゃもうナタリーにとってこれは不安だし恐怖だよ。

このタイミングなのでミセスジョンストンのことも思い出した。ダンスがしたかったんだダイアナも。ナタリーの恋模様を覗いて昔を懐かしんだり。

主婦・妻・母親であるために圧し殺しているものが多いっていうの

(ダイアナがdisった)欲求不満の主婦たちとあなたの問題の根底は一緒なんですってDr.マッデンに言われた時なんか傷ついたわ。

なんかね、女はみんなダンスをしたがってると見られるのはちょっと気分が悪いな。

まぁ主婦に限らず、normalであろうとしていろいろ圧し殺している現代人の闇をテーマにしているんでしょうけど。


ダイアナの記憶を塗り替えてしまおうとまで考えたダン憐れだしやっぱ愚か。酷い😔

ゲイブを出現させたのはダンのせいじゃないかな。

良き夫であろうと献身的な、ホント"いい人" Goodmanさんで、愛なのか誓いを守るためなのか分からなくなっちゃったとか言ってたけど、とにかく"あるべき姿"夫婦""家族でいることに必死だった。利己的というのでもなく本当に良かれと思ってね😔

てか、♪It’s gonna be good〜とか軽快に歌ってたけど、元来何とかなるさ〜みたいな楽観的な性格だったんだろうな。朗らかでいい人で憎めないし、ダイアナだって絆されちゃうと言うか気を遣っちゃうこの人の言うこと聞いてあげないの可哀想って思っちゃうよね😔(ますますヘンリーと重なっちゃって心配になる😔)

結果的に、ダイアナを縛りつけてた。

ダンはダイアナに依存してたとも言える😔


予期せぬ妊娠・嵐のポートランドでの駆け落ち結婚に実は(意識下では)納得いってなかったところからダイアナの"圧し殺し"は始まってた(そこらへん隠そうとした辺りダンにも後ろめたさはあるんだな)。優しくて情熱的なダンを前にダイアナも当時はそれで良いと思っていただろう。可愛い息子も生まれ、でも喪い、何とか立ち直ろうとまた子供を作ることにしたのも(ダンの提案だったと思うけど)多分その時には良い選択だと思えていただろう。だけど全て、未解決の問題を覆い隠してどんどん上塗りしていくことでしかなかった。我が娘を手に抱くことができなかったことからダイアナの""は顕在化した。でも息子を亡くした悲しみの更に奥・根底にある原因が追及されることはなく、フォーカスは双極性障害の症状を抑えるという所に置かれてしまい、また更に上塗りは続いてしまった。

常に良かれと思いながら、何とかしようともがきながら、脆い家を建ててしまったんだよね建築学科の2人だったのに😔


ダイアナは出て行く選択。

ひとりになったダンがI am the oneのメロディでゲイブの存在を認めていくのたまらんかったよ。最後に赤ちゃんを抱く手つきになったの😭ゲイブガブリエル息子って。

名前が呼ばれるの本当にこの1か所だけだったわ。ゲイブもダンに抱きついてたね😭やぁパパって😭


ゲイブが18歳で現れた(現れたのはきっとここ最近だよね。カレンダーが捲られなくなった去年の4月からか?)のはもし生きてたらという年齢でもあるけど、ダイアナとダンが出会った頃の年齢、問題がその時点に起因していたからかも。

ダイアナがあのゲイブと向き合うことは即ちダンと向き合うこと(そして別れること)になったし、ダンはあの後ゲイブ=過去の自分自身と向き合っていくことになったのかもしれない。(Dr.マッデンの助けを借りたかしら)

記憶喪失中のダイアナがヘンリーを見て「誰かに似てる」と言う場面があったけど、同じ年頃だからゲイブと重ねてるんだと思ったけど若い頃のダンを見てもいたんだな。

ゲイブ=ダン=ヘンリーというイメージに、またナタリー-ヘンリーの将来が心配になっちゃうよ😔


ラスト、赤いシャツのダンとゲイブ、紫のダイアナとナタリー、インナーが紫なヘンリーと赤のDr.マッデンが並んで、背景は青・赤・紫が綯い交ぜになったような、夜明けの空のような色だった。電球の星も光ってたかな。

みんな取りあえず歩み出したところで、ナタリー-ヘンリーだっていつかやっぱりダイアナ-ダンのようになってしまうんじゃないかとも思うし、迂闊に"希望"なんて言える気持ちにはなれないんだけどね。ちょっとズルいなあのラストは。


記憶が無ければ苦しみもない、

愛すれば痛みも生じる、

人と関わることってそういうリスクがあるんだけど、生きてる限り人と関わらない訳にはいかない。


精神医療は欧米ではポピュラーなだけに問題点も挙がっているのだろう。

安易な薬物処方とかただ病名を付けるだけとかマニュアル的決めつけ(4ヶ月以上続く悲しみって当たり前だよな)とか。

ダイアナの病気は糖尿病などと同様な慢性疾患だから治療を継続しないといけないんだね。ふむふむ。

欧米と日本の観客というだけでなく、精神医療が身近であるかどうかで、この劇の感じ方はだいぶ違うんだろう。

私は正直、病名を付けられちゃうから病気になっちゃうんじゃないですか?とかも思ってしまうし、薬を飲むことも何となく危ない気がしてしまうし、おそらくちゃんとした理解からは遠い所に居るんだと思う。

Dr.マッデンのカウンセリングでダイアナの後ろのカーテンが開いてドワッと空間が見えた時ちょっと怖いなって思っちゃったよね。ナタリーが「私の頭は誰にもいじらせない」と言ったのにも賛同する。


病気に苦しんでいる人が必要とする薬や治療

と並べたらいけないのかもしれないけど、私にとって演劇はセラピーですよ。