J’aime le théâtre♡

観劇日記。

『ブラッド・ブラザーズ』2回目

2列目センターでどっぷり!


堀内さん静かに登場した途端、無言で俯いてる佇まいだけで深い深い悲しみが押し寄せるように伝わってくるすげぇ😳

嘘だと言って 他所の話とってツラいな😨その時ナレーター舞台下でガッツリこっち見てるし。


迷信深いミセスジョンストン。

uneducatedな女性!

ダンス(ロマンスや物質的贅沢)に焦がれる気持ちを燻らせていて、身持ちが悪くて、不妊に悩む人のこととか考えられないし、カタログ見て払えないのに買い物しちゃって差押え喰らってもケセラセラだし、14歳ミッキーを補導した警官に頭下げながらこっそり中指立ててるし(しかもミッキーも一緒に)

逞しいとかバイタリティあるって良く言えばそうだけど、こんなんだからダメなのよなー😩と思っちゃう。

スラム街を潰す都市計画で郊外に団地を与えられて、勝ち組になるとか浮かれてるけどいやいやただ当てがわれてるだけですから浅はか😔(この1幕ラスト何となくフォーメーションとかが所謂ミュージカルっぽくて堀内さんのステップも可愛くて楽しい気分にさせられてしまうの罪深いよ💦)

せめて子供たちはここから抜け出させようとか思いもしないんだなって😔これが階級社会というものか。

エディにロケットをあげるのとかもあまりに思慮がないよなぁ😔


一方、ミセスライオンズも罪の意識と迷信に囚われどんどん壊れていったよね。

経済的に恵まれ割と何でも思い描いた通りに順調な人生を生きてきたがここへ来て子ができないという挫折にぶち当たってしまった。

当初はミセスジョンストンを黙らせる材料として迷信を利用していたのに(まぁそれもちょっと恐る恐るな感はあったけど)、いつしか自分も理性的な判断や行動ができないほど精神的に追い詰められてしまった。大丈夫!って思う強さも何食わぬ顔で過ごす不敵さも持ち合わせてはいなかった。

ミッキーにリンダの密会現場を見せたのも彼女だしなぁ。もう、みんな道連れに不幸にしてやる!みたいな精神状態なんだろうか。


そしてリンダも、しっかりした子だったけどやっぱり男に寄り掛かって生きるということしかできなかった。


ホントこれ"女性たちの悲劇"なんだよな初見でも思ったけど。

女たちがこんなだから子供たちもこうなっちゃうし社会は変わらない、と私には見える。もちろん女たちがこんななのは構造の問題だとは思うよ。根深い。


「何で俺を手放さなかったんだよ俺はあいつになれた」で誤発でエディを撃っちゃうミッキー(銃ヘタだったもんな)…その瞬間に舞台下中央私の目の前にいたヤッキーさん警官に撃たれる。

衝動的に銃を手にして走って来ただけで犯行計画を練った訳ではないし銃に弾が入ってるかどうかだって分かってない(こんにちはと言うエディにおもちゃの銃を向けて飴出せって言ってた出会いの時と同じ構図😭)、警官隊に囲まれてこんな大事になっちゃってちょっとビックリしてる、うっかり誤発でエディを撃ってしまう、もぉこのダメさ残念さ、手紙の剛志と重なったよ😔

ミッキーの言葉にショックを受け、舞台下に現れたナレーターに気づき凝視しながら舞台中央、双子の間に来てへたり込むミセスジョンストン。強い嘆きが湧き上がってきていることはその地に響くような歌声からわかるけど、嘘だと言って芝居だと役者だとなんて虚しく言うことしかできない。

迷信の通りになってしまったと、あなたたちは双子だと言ってしまった自分を呪っていたかもしれないよね。エディにもミッキーにさえも駆け寄ったり腕に抱くこともせず2人から距離のある位置にしゃがみ込んで。

そうじゃない!呪うべきはその"抜け出せなさ"なのに!


そんなミセスジョンストンを見ていたらキッズゲームが遠くに流れて(この挿入は天才だと思う)、嗚呼!って打ちのめされたところから全然立ち直れないうちにカテコになって、あ芝居だったって思ったら、緩んで泣けてきた。


キッズ・ゲーム やばいんだよ。

最後にサミーが水風船を破裂させてみんながブワッと倒れるの、核の冬の光景だった😨

「でも指先をクロスして10秒数えりゃ 起き上がってもいいから 最高!ゲームなんだし」


どーしょーもない"構造"は我々の現代にだってまだ存在しているし、ゲームや芝居と違って現実では本当に人が死ぬ。エスカレートして人類滅亡を招くかもしれない。取返しのつかなさに我々は気づいて歯止めを掛けることができるのか?

客席に黙って座って観てることと、酷い現実を(ナレーターや警官たちと同じ位置で)他人事のように見ていることが重なる😔


そう「医者がそう言ったから」とすっかり思考停止して薬を飲み続けるミッキー哀しかった😔「薬を飲むとあんた見えなくなっちゃう」とリンダに言われて「だから飲むんだよ見えなくていいように」って言ったのも堪らなく哀しかった😔

薬に溺れまるで死んだようになってしまったのもマリリンモンローだとミセスジョンストンは歌ってこれは巧いなと思っちゃったけど、でもこの精神医療や薬物療法を一概に毒と決めつけるのも無知かもしれないよなぁとも思う。


しかし、かっきー凄いな!毎ステージ身も心も削ってるよね。左膝にテーピングしてた。全力で7歳だし、イキってるけど純で小心者な10代サイコーだし、投獄され壊れてからのミッキーはそれまでの輝きを一気に封じて見てらんないくらい😢ラストは汗と鼻水ダラダラで😢自分に唯一残されたリンダをよすがとして薬やめたんだね。最後の希望だったんだよね。リンダを責めることもできないんだけどさ女の弱さよ😔

あとね、かっきー歌上手いな!と思った。歌唱に不安が一切無いのって、歌がちゃんと台詞として入ってくる大前提だよなーと改めて思う。核の冬から起き上がる時もかっきーのリードだったね。目の前に倒れてたから、ファルセットがオフマイクみたいな感じで聴こえてアッてなった。


全体的にキュキュッとクリアになった気がしたのは公演を重ねた進化だろうか、私の理解が進んだからだろうか。

7歳シーンのアンサンブルが少々頑張り過ぎに見えて心地良くなかったのは馴染んだように思えたし、14歳の造形が好きではなかったけどそのシーンも少しサラッと目になってた気がした。

大人になって双子の格差が出るところをもっと丁寧に観たかったと初見の時思ったけど、ミッキーが解雇され失業者になってからの落ちぶれ方、Mrs.Jones!の曲で「それもまたご時世」と歌われてる短い間に変化が見えたわ。あれよあれよと言う間にミッキー惨めになった。大学に行ったエディと離れていた半年で2人の世界がもう全く違うものになってしまったことがちゃんと悲しかった。

エディはまだ子供のまま。階級違いのミッキーやリンダを遠去けたくなるような気持ちはまだ生じてないんだね。てか、もしかして大学の友人たちとはあまり馴染めなかったのかなぁ。子供の頃も同じ学校や近所の子たちと仲良くなれなかったのかしら。ライオンズ家は決して上流ではなく、ポッと出の資本家階級なんだろうな。そっちのコミュニティではエディはちょっと見下される立場だったのかもしれない。あぁそう考えるとまた切ないね😢ウエンツくんの芝居好きよ誠実で。


ミッキーとエディが出会ったり惹かれ合ったり同じ女を愛したりしたのは双子ゆえのと考えることは敢えて避けたいよね。血に導かれたとかって思いたくない。そんなんたまたまなんだよ。物語を見つけたがるのは人の性だけど、囚われるのは嫌じゃん。

現実はどうせ良く出来た物語にはならないんだから、中途半端な物語なんて見つけない方が私たちは自由じゃんね。

そうか、ナレーターって、物語を欲するという人間(社会)の性質の具現化なのかもな。

とか言うのは、私自身物語を見つけてヒャハってなりがちな自覚あるからだったりするんですけどね😅

サミーがミッキーに持ち掛けた強盗の報酬50ポンドって、ミセスライオンズがミセスジョンストンに渡そうとした金も50ポンドだったじゃん😨とかさ。こういう符合が劇中に散りばめてあるのは好物ですよ😝


あ、ナレーターの歌とキッズゲームって同じ旋律なんだ!っていうのも、後から気づいてうわっ😨て思ったね。

ロンドン版のCDちょこっと聴いたけど、編曲かな?歌い方かな?全体的な感触が何か違うね。思いの外クラシカルなミュージカルに感じる。あと、ラストにキッズゲームを持ってきたのは鋼太郎さんのアイディアなのかしら?あれはマジ優勝。床面照明でステンドグラスみたいになってたのも良かったよね。


ホント、堀内さんが泣き腫らした顔を上げてくれて、かっきーやウエンツくんが起き上がってニコッとしてくれて、一路さんもチャーミングな笑顔で出てきてくれて、めちゃくちゃホッとして泣けちゃったよな。

良い観劇体験だったな。