J’aime le théâtre♡

観劇日記。

『導かれるように間違う』と『夜を走る』のコンボ

『導かれるように間違う』2回目は更にいろんなコトバが引っ掛かる…というか、そうだそうだそんなこと言ってたわ!と、前回観たとき引っ掛かってた筈なのに思い出せてなかったコトバたちにハッとする。

 

「オンリーフォワード」😨

「先導者」…ってやっぱり"空気"かもしれないよな。みんなが従っている。

 

クマちゃん「殺し屋だよ」って言ってた。

「ある者」はクマ型の時限爆弾を作ったんだったね。複数の子どもが犠牲になったけど全てが彼の犯行ではなく模倣犯の仕業もあって、でもそれだって彼に責任が無いとは言えないみたいな会話(つまり彼の内省だな)を後で額縁のとこでしてた。

 

「監視システム」

額縁の中はある者の頭の中のイメージつまり記憶か。脳内。

ファンの子の姿で顕われてたんだ。

ラスト、風の中で土井さんすごい笑顔だったなぁ。

あの2人は同一人物なのかな?…あ、あの子は「ある者」の中身だった者か!?

あの監視システムだって、自分の中に生来持っているものなんじゃない!?

 

スープかぁ。すっごい引き(あるいは細胞レベルのすっごい寄り?)の目線で見ればそうなのかもな。

 

大風が吹いてゴミ屑だらけの、キレイじゃない混沌とした世界の中で。

そんな外の世界を、"清潔"な病院内から、怯えながら見ている亀ちゃん江口たち。

 

江口、怖いよなー。マジヤバい人。

強制する人でもあり、縛られる人でもある。犠牲者でもあり加担者でもあるってやつだ。いちばん病気だよね。クスリないといられないし。

「生きろ(反語)!」って土井さんに言われて自傷してた?

「生きてるように死んでる(反語)!」んだよね…

 

そっか退院して行く先は適応訓練施設ね。

 

踊りとか、号令や音楽に合わせようとすれば合わせることができて、揃うと好都合だったりちょっとした達成感や気持ち良さにもなるしっていうのも怖い。演劇の同化効果について考えちゃう。

 

冒頭の海岸の絵は以前ドイツ人のピアニストが描いた絵で「ある者」の最初の語りはそれを取り込んでる姿だったんだね。

あの3枚の絵は、退院後の道のことだろうか。色味は違うけど3枚とも同じような絵に見える。

 

上手サイドの方が成河さんの顔が見えることが多かったかも。近かったし、とてもリアルに感じた。

真似っこスイッチが入ったとき目の光でそれが分かったりしたぞ!すげぇ!

 

からの、

アップリンク吉祥寺にて『夜を走る』舞台挨拶付き回。

 

成河さんと玲央さんに会えた幸せな1日だったんだけど、両作品に何となく繋がるものがあった気がして不思議な後味が残っている。

どちらも結構なエキセントリックさと、"今の立ち位置"に揺さぶりをかけてくる感じ…留まること/出て行くこと、みたいな。

ダブルパンチを喰らった感。

 

秋本のあのダンス、新しい世界、新しく生まれ変わった生命!誕生!って思った。その後のシーンでパートナーたちに指導してるのがあのダンスの内容だったもんね。新しい教祖になった、それこそ「おめでとう!」の瞬間だったんじゃないかなあのダンスは。

たぶんみちまち効果(感性が耕されたって感じかしら)で、秋本のダンスを「受け入れます」という気分になれちゃった気がする。

こう考えてみると、映像より舞台の方がエキセントリックなものをだいぶ受容しやすいかもね。逆に言えば映画だとより奇怪に見える。

 

そう…床に大の字で寝てる秋本とある者は重なるし、退院ですおめでとうって言われるのと拍手でいってらっしゃい!と言われるのも重なるし、あの病院とニューライフデザイン研究所は重なるよなー。

 

足立さんと玲央さんが「好きなシーン」として妻が谷口を警察へ迎えに行った車内でのシーンを挙げてたけど、確かにあの時の妻の「私があんたを裏切ったことある?」とかシラッと言うの衝撃だし、灯りがなくなって暗くなったとこで「大切なのは家族を守ること」って話になるのゾッとした。

どこにも行けない、行かない、二人。

ラストのサービスエリアのシーンなるほど確かに映像のサイズも質も違って、スマホ越しにあの家族を覗いて見てるようだった。

 

"みちまち&よるはし"コンボ、予想外に面白いことになったな!