J’aime le théâtre♡

観劇日記。

『森 フォレ』

初日。

あの戯曲だからね、どんなふうに見せられるんだろう好きになれるのかな私は心動かされるのかなという、どちらかと言うと不安を抱えながらだったわね正直。しかもいきなり最前センターなので逃げられないし。2度の休憩挟んで3時間40分!という長さだって言うしさ。緊張したよ。


客席入ってまず、あまりにシンプルな、年輪のような(中央が少しだけ角度が傾いてズレてる)丸い板の舞台美術のみで期待値が上がった。最前列はゲキ近w


やはり舞台上のあちこちで時空を越えたシーンが交叉する感じ。あの複雑な物語を芝居で見事に立ち上げてくれた。

戯曲読んどいて良かったな。話を追うことに疲れない分、芝居を堪能できた。


役者を通して観ることで新たに感じることは多かった。

ほぉこれこの人の台詞だったの?っていうのも結構あった気がする。

リュシアンとレオニーがあんなに燃えちゃうの、そうだよねそうなるよねって思えたり。

ルーちゃんは、へぇ!そういう感じか!って驚いたけど納得。パンクな真っ黒い服装とメイク。最初からずっとこんなに激しく怒ってる・苛立ってるとは思ってなかったよ。素の瀧本さんと印象が全然違ってビックリ。

あ、エメもイメージと違ってたなぁ。エメとオデットはもっと儚げで陰鬱なイメージだったけど栗田さんが演じるとそうでもない。

ダグラスは、成河さんだから若々しいしルーの恋愛対象になる感じがする。ルーが序盤パパにツライこと言われてるのをわかってあげてる表情が印象的だったな。自分の「選択の余地はない」動機を何とかしたくてルーを巻き込むんだけど。最後に赤い(今までのルーの色ではない)コートをあげるのはアレクサンドルがアルベールに餞別としてコートを贈るのと重なるルーはこれから新しい自分の世界を作るってことかな。

ラスト、赤い紙吹雪。劇の冒頭は白い吹雪から始まったけどね。

麻実れいさんにめちゃくちゃ惹かれた。リュスってこんなものを抱えたこういう人だったんだなというのを目の前に見たわ。お母さんが迎えにきてくれるのを只々待ってた。すごくリアルに可哀想な生い立ち。実子を戦争で失った里親にも"手放したくない"思いで囚われてしまったよね。

エドモンの若い頃と老年期を亀ちゃんと大鷹さんが重なりながら演じる演出は好きだったな。

亀ちゃんアコーディオン弾いてたじゃん!

健さんはルーパパ、アルベール、サミュエルともに色っぽくて魅力的。アレクサンドルとのシーン、アルベールは鬱屈として弱ってる感じもうギリギリだったと言うか森を作る動機にはすごく説得力を感じたなぁ。

いちばんエグいシーンは敢えてアルベールとエレーヌを登場させずエドガーだけで表現したのね。

依都美さんのリュディヴィーヌはとてもカッコよくて、インターセクシャルってそういうことなの?(これは身体の形状のことだから性自認性的指向とは無関係なんだよね?)サラに対して恋愛感情があったように見えたけど。あるいはサミュエルのことが好きだったとか?


あのドロドロの血の物語を知ったルーとダグラスはどんな気がしただろうね。ドロドロ家族のサスペンス風味は、つい一昨日視た『ルーム301』みたいだなと思った。日本のTVのサスペンスドラマとかもそういうの多いよね。私はすごい嫌悪を感じるけど。でもこの嫌悪って、虚実皮膜のところだからこそ感じるのかもしれないね。観測。


「約束する」とか「決して見捨てない」とか、"呪い"だよなー。縛られていること、属している場所居場所?があることに救われたりするんだろうか。

ルーとダグラスは骨とかに導かれて出逢ったなんて思わずに惹かれ合えたらいいけど、もしもそんな神秘のうちに結ばれていくような将来だったらなんだかなーと思っちゃう。

ラスト、女性たちがなんかいろいろ言ってるのはちょっと詩的すぎると言うか説教くさいと言うか

男性が書いた物語ですよねという感は否めない。子を宿すこと、産むこと、母性、そういうものに必要以上に神秘性を持たせる感覚は正直気持ち悪くて好きじゃないし、リュディヴィーヌの台詞で残せない人には意味がないみたいなことも言っちゃってるし、ちょっと感性が合わないモヤモヤ。

皆さん巧くて、良い芝居を観てるという満足感は非常にあるけど、好きな話じゃないし、すごく好きな成河さんが見れるという訳でもないからな。今日は最前センターで浸ったけど、確かに上から観たいというのはあるから次回2階なのは嬉しい。


そうねもっと若いティーンエイジャーみたいな女優さんがルーをやってたらまた違って見えるかもしれないなぁ。


戦争とかそんな状況の中でも心は自由に飛べるっていう台詞は耳に残ってる。サラだったかな?


パンフを読んで得た知見も多い。


登場人物たちの名前にはそれぞれすごく意味を持たせてるんだね。ダグラス・デュポンテルも「黒い川に橋を掛ける人」なのか。ルーが狼なのは分かってたけど、そう言えばfaim de loupという句を思い出した。飢えているのかもしれないね、ルー。

私・彼って抽象化させてるスリルミーと対照的だね。

名乗ること、名前を呼ぶことに、すごく意味がある。なるほど。

呪いの言葉のよう。


成河さんが言ってる、全員「膠着状態」だって。そうだね。

"出て行けない" "待ってる人たちにはホント嫌悪を感じる。

たまたま直前に『ひきこもり先生』を視てて「居場所がない」子どもたちの苦しみそれは大きく言うと社会の構造からもたらされている、という話に触れてたから観劇中にこれも思い出したけど、そうね、子どもは可哀想だなぁと思うわね。

社会の構造が、というのは実感してる。資本主義とか"民主主義"とかクソみたいなこの社会の枠組みの中に囚われているのだということはすごく感じてるしどうにかできねぇかなー!とかよく思ってる。けど、そんな怒りには圧し潰されないし、立ちすくんでしまうこともしない。

「選択の余地がない」状況に立たされてしまうことは怖いわね。でもそしたら私は喜んで一方を選んで呵責なんかしないのかな。


人は、愛する対象がないと生きられないのかもなぁなんてふと思った。リュディヴィーヌはそれを作ろうとして必死だったのかな。

あるいは、逆説的だけれども、憎む対象。憎しみや怒りが"生きる動機"になるって、以前ポップン観た時にハッとしたことだけど。凄いね人間って。何も無いと生きられないんだね。


ルーとダグラスは自身の「膠着状態」から抜け出すために旅に出るけどそこでもっと膠着状態な人たちに出会うって。

あーみんな膠着状態だねと思うことは果たして救いになるだろうか?あの人たちのことを知って、自分もそこに連なっていると知ることは救いになるだろうか?

「約束」で縛られることで「見捨てられていない」「見守られている」と安心するのだろうか?


あゝそうね…"無かったこと"になりたくないのか


アルベールが森に楽園を築こうとしたこと(失敗)エドモンが森を出て行こうとしたこと(失敗)、リュシアンが戦場から逃げて森の女たちを救い出そうとしたこと(自分は死んだけど森を壊して成功?)、レオニーやリュディヴィーヌやサラやエメが娘を自分から切り離し新たな世界へ送り出したこと、リュスが求め続けたこともかな膠着状態をどうにかしようと"闘った人たち"と見ることもできるか。オデットも闘う行動をしたと言えるね。エレーヌは違うと思うけど。

この闘いに自分も連なっていて、自分には切り拓くべき新しい世界が与えられてるということを知る、ってことか。

あぁやっと救い・希望に辿り着いたかも😅


四姓始まってより殺して殺されてを繰り返した死者たちの声を聴きながら、もういいじゃないですかと思いつつ(過去に取り込まれそうな危うさもありつつ)今を歩き未来を作ろうとする義経くん決して勇ましくではなく、歯をくいしばって苦しそうな顔で重い足を引き摺りながら歩いて捌けて行った義経くんと、赤いコートを着て立つルーは同じなのかもしれない。


アルベールは悍ましいけど、資本主義や戦争に突き進んで行く悍ましい社会に否を言う行動に出た。彼が行動しなければ闘いは始まらなかった。結局自分も悍ましい世界を作ってしまったけれど。

餞のコートを着たルーは、行動を起こした時のアルベールと同じ。

ダグラスはどんな気持ちでルーにコートをプレゼントしたんだろう。血縁は無いけれど、君を見捨てないよ、君が君の人生を歩むことを応援するよ、旅立つ人を送り出す気持ち。アレクサンドルもそうだったかな。

同時にダグラスは、自分がそんな"応援者"になれること、ルーの拠り所になれることを嬉しく力強く思っているだろうな。自分の存在意義ができた、居場所ができた。救いになってるのかな。

自分から旅立って行ったということは、旅立つ前に彼女が居た場所になれる。彼女を通じて、自分を此処に発見できる。見出せる。

てか、彼女の中に自分は生きられる。

それがなければ、自分の存在はあまりに不確かだということか。

確かに生きることって、他者の中でしかできないのか。

いや、肯定的な言い方をしてみよう。他者と関わることで人は確かに生きられる。自分の存在を確認することができる。


もとい。ん?アレクサンドルがアルベールにコートを贈ったことはもしかしてダグラスは知らないのか?神秘的な一致なの?



上村聡史演出、成河、瀧本美織ら出演『森 フォレ』が開幕 初日コメント・舞台写真が到着 | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス

初日後コメントと舞台映像も♪



うわっ

だいぶ前に録画してた唐十郎のドキュメンタリーをふと視たらなんと金芝河が出てきた!独裁政権下で民主化・反体制の運動をしてた詩人・劇作家で、唐さんが韓国公演を強行した時に手引きし共同公演したんだって。

そんな人の名前を貰っているということを、意識しないわけないよね成河さん

敢えてあれくらいの感じでサラッとそのことに触れたこと、感じ取れて良かった。フリコミの前説で「(扉が開いて)唐十郎が出てきたりしませんからw」なんて言ってたのも思い出すよ。

名前、ね