そう言えば劇チョコの『一九一一年』を観た直後にチケット取ったんだったな。大逆事件の、あの顔の見えない権力が行使されている裏で起きていた話。
もちろん役者は違うけど平出修くんに久しぶりに会えた気がして嬉しかったり。幽月さんからの手紙とか。
森鴎外は陸軍省の高官として山縣有朋のグループでもあり、小説を通じて思想弾圧に異を唱える文学者でもあった。二面性。あゝチラシのビジュアルはそういうことね。弁護の件で平出の相談に乗っていたというのも実話らしい。へぇ。
場面はすべて鴎外の家庭内で、妻・母・女中・訪問者たちとの会話はとても軽妙。
客席からは結構ずっと笑いが起きてたけど…
怖くて悍ましくて苦しくて、私は全然笑えなかった。笑ってる客たちに嫌悪を覚えた。妙に年齢層高かったし。
お母さんが薙刀振るって鴎外を阻止するとことかなんで笑えるの?嫁姑のああいう感じも嫌い。
いろいろあったけど平穏な日々が訪れましたね〜みたいな雰囲気のラストとかマジ怖い。
鴎外はエリスの「裏切者!」の声を心の内に抱えているけれど、それだって結局なんにもならない。
自然主義文学者たちを罵倒するほどあんなに文学者の使命を思い苦しんでいた永井荷風が「文学者を辞めて戯作者になる」って…
「山縣有朋は小山内薫などよりよほど腕の立つ演出家だ」とか、マジ笑えない。
「日本人ってダメ」と言うのとか。
変わらない、変われない。
前世の因縁から解き放たれることはない。
「きっとドクトル村中も来世はもっとマシに生まれようとあの世で言ってることでしょう」なんて、啓蒙されたかと思いきや結局わかってない女中とか。(あ、でもあれはもしかして皮肉として言ったのか?)
あのお母さんの圧倒的な存在感とか。
マジ希望がない。
ずっと続いてる。今も。
いや、キッチュさんとか木野花さんとか成志さんとか確かに滑稽さも含ませてて、巧い芝居を観てる満足感はあるよ。鴎外が逡巡する様子とかすごく良くて。みんな、良いだけに笑えないのよ。こういうのあるあるーって笑っちゃってる時点で、その根源にある問題を流しちゃってるじゃん。
あれさ、登場人物全員 "ダメな人"のサンプルじゃない?母や賀古は旧態の権化、シゲ子は効果的な闘い方ができないし結局旧態を(財布と共に)受け継いでいく人、女中は無学な大衆、永井荷風は逃げたし、平出修は相談する相手を間違えてるし早死にしちゃダメだよ。鴎外は中庸すぎる。そして何より厄介なのは、みんなすごくいい人なんだ。
こんなに問題ばっかり突きつけられて、ほーらこんなだから日本社会はずーっとこんなじゃん!って言われてるようで、笑えない。
https://spice.eplus.jp/articles/294844
永井愛さんはこういう作風なんだな。
「怪談」の意味についても、これきっとわざとはぐらかしてるんだと思う。
この記事、永井荷風に言わせた台詞が載ってて嬉しい。
ツイッター見てるといろんな感想があるな。心温まる話でよかったと書いてる人さえいる😨
うん、良い芝居だ。
文学・芸術には果たして力があるんだろうか?
でもさ、考えたらさ、鴎外の立場ってすごく共感できると言うか、鏡だなぁと思った。
あ、鴎外の部屋の美術は手前(2階だからね)の瓦屋根と後ろ上方に斜めに何本も走らせた梁みたいなのが印象的だった。暗転中その梁のところだけに照明が当てられたり。牢とか人間関係にも見えたと言ってる人がいてなるほどーと思った。