大衆…あまりにも実体が無くて怖い。
「大衆のため」「大衆が求めるものを」「大衆の支持を得るために」と言って世の中は動いてるのに、それをしてる人は自分のことを大衆だと思ってないし、近寄って一人一人の顔を見たら大衆なんてどこにもいない。
Why? はいちばんどうでもいいって。
次はどうなる?がどんどん提供されればそれでいいって。
エサはずっと与え続けることになるぞってミラー紙の人が言ったのがすごく残ってる。
ストーリーが欲しい。
歴史を考えない、何故こうなったかは考えないって、68年頃の話だし、最近読んでる構造主義とかちょっと思い出す。
ストーリーって歴史もストーリーだと思うんだけど、大衆が欲するとされているのは"この後どうなるか"というストーリーだけ?
サン紙のオーナーはオーストラリア人だったのか。この人も編集長の人も「こういう新聞を作りたい」みたいな理想で作ったんじゃないのね。ただ数字をとって勝ちたかっただけ。それこそ「それが欲しいんだろ?ん?」を暴走させちゃった行く末。
「それを欲した」大衆っていったい何処にいるの?って話。
ポリシーと言うか矜持を持ってるように見えたミラー紙も、ダメになった。あぁ結局タブロイド紙になったんだ。
誰も勝たない。
とても醜悪な世界を見せられたけど、それはすぐ自分に返ってきて私が傷つくわね。
大衆って常に客体なんじゃない?
欲しがらせられてる。
Page One、Two と来て、そっかPage Threeがポルノ面なんだね。この構成はニクイ。
演出面白かった。最後にWHYが積み上がって置かれて終わるの良い。シャラシャラカーテンの後ろでいろいろが行われる意味はいまいち???だったけどな。
音楽鈴木光介さんだけど、はぁ熊谷太輔さんが演奏(録音)してたんだ。
https://spice.eplus.jp/articles/288258
https://www.sankei.com/article/20210616-NEOIVK6ZVNJOZFC4NZGSXAOOJ4/