J’aime le théâtre♡

観劇日記。

『マーキュリー・ファー』

はぁひっでぇ物語だったな。終演して解放されることが心底嬉しいなんてなかなか無いよ。もう1回観る気にはとてもなれない。


いやいやいくらなんでも我々の世界はここまでじゃないでしょないよね😨って、苦しくなってくる。

こんなもの見せないでくれ!っていう、腹立たしい程の嫌悪感。


環境とか状況とか時代とかに順応するしかない、自分の生き方を"選べない"、ということの危機感を言ってる作品が最近多いなという気がする。

記憶すること(古に学ぶこと)、自ら考えること、自分の大切なものを選び取ること、そういうことが尽く剥奪された世界。いや、みんなそういうことを奨んで放棄してしまっている世界。エリオット(弟がエルって呼ぶのいいね)ひとりだけまともで、しらふで居ようとしているけれど。


いろんな幻想を見せるバタフライ。翅の色や模様によって見せるものが違うらしい。最初のは白(エリオットは青と銀?だったと言ってたけど)で、そのうちいろんな種類が出回って、最近では黒い(これもエリオットに言わせれば違う色)自殺させるやつが出てきたって。


きっとどこかに安らかに暮らせる場所があると思いたい。

こんなにある星々のどれか1個くらい


すごく愛してる、だから


秋人くんローラがとても素敵だった。

その他は、ダレンもナズも、スピンクスも姫も、エリオットだって、みんな私を苛つかせる人たちだ。


そっか初演は高橋一生さんと瀬戸康史くんだったのね。しかもトラムの濃密さ。ローラは中ちゃんだったんだ。友達が言うには、もしかしたら自分も政府側かもしれないという突きつけられる感じがあったと。なるほど今日そういう感覚はなかったな。私の感じ方かもしれないけど。只々、悍ましかったわ。そうね、どちらかと言えば、あんな世界は消えて無くなってしまえばいいと思った。そんなふうに思わせられることも苦しい。


ほぉーロンドン初演のエリオットはベン・ウィショーだったのか!

この兄弟をさ、美しい俳優で見せるのがさ、またすごく嫌だよね。


タイトルは、星に蔓延るもの、みたいな意味なのかな?

あるいは水銀青と銀のバタフライとか銀色の蛾(蝶ではなく蛾だよね。繭とか言ってたし)の翅のモフモフした感じかもしれないな。


あぁ、うん、2時間以上閉じ込められて環境を選べなくてただじっと我慢してそこに座って見てるしかなくてって、劇場の客席に居る私たちだ。"逃げ場のない状況"の疑似体験になってるんだね。マジつらかったもの。これは劇場演劇ならではだよな。休憩もナシなのは正解だね。


悲惨なラストの後に流れる♪Climb every mountain…残酷だ。(初演はここエーデルワイスだったらしい。そっちの方がより慕情に沈んでいく感じがしてやるせないかもね)

そう言えばサウンドオブミュージックは随所に出てきてたねぇ。みんなあれを心に抱いていたのかよあのハッピーな、希望ある世界を


ははん、タイトルについて、NYのプロダクションの俳優がインタビューで「ローマ神話マーキュリー(言葉を司る)の毛皮(包み込むもの)」という解釈を披露していた。これを読んで私はあの劇場で虚構空間に包み込まれていた状態を思ったよ。

ローマで思い出したけど、人殺しがエンターテインメントになるのは実際にあった話じゃんね。

ちなみにこの俳優は、この物語世界では女性がほとんど生き残っていないのではないかという考察も示していた。