J’aime le théâtre♡

観劇日記。

青年座『ある王妃の死』

知らなかった物語を知る体験は尊いね。勿論これが"史実"だと鵜呑みにするつもりはないよ。何が"史実"かなんてわからない。現実なんてもんはありませんぜ、ってやつ。


大義のため」「100年後の日本を作る」みたいなことを言って盛り上がってる男たちはとても身勝手に見えた。女にはわかるまい、可哀想だね、とかも言ってた。

事件の夜に至るまで、舞台の端と端で女性たち(大山さんと梁尚宮)が黙って悲痛な面持ちで男たちを見ている姿が何度も出てきた。

でもさ、綱島さん演じる三浦梧楼は快活で魅力的に見えちゃったりもするんだよなー。


生演奏チェロの音色が美しかった。王妃の低音な声と響きが似ているなぁと思った。チャングと一緒にアリランの伴奏にもなってたね。ちょっと東洋的な弦楽器の音にも聴こえるんだよな。

チェロ奏者の大藤桂子さんはこの頃の海軍大臣西郷從道(隆盛の弟)の曾孫だそうで。


大院君と岡本は、人間として好きどうしなのにね。


ボンちゃんそうか朝鮮の身分制もキツかったんだなー。


落ちてきそうな月

日本側も朝鮮側も同じようにあの夜の月を見上げていた子午線の月の女神を思い出す。


狐の嫁入り

虎の婿入り


女狐、狐狩り


閔妃が殺されたのは女だったから、王族とは言え直系ではない嫁だから殺しても民衆の怒りは買わないと判断されたから、という知見をツイートしてる方(韓国メディア関係の方かな?)がいてなるほど。

そんな王妃が満月の夜「普通のに化ける」と言うのは違和感がある、と。何もできない女ではなくむしろ「男だったら」と思う筈、「普通の」と言わせれば良かったのにと。「王妃でもなく母でもなく妻でもなく」とは言ってたと思うけどね。

"男が作る社会・歴史"というのは劇中でも批判的な視点を以て描かれていたけど、やはり作者(シライケイタさん)の男性目線が出ちゃってますねーという指摘もされていた。あぁ森フォレの時と同じか。


歴史認識ってまさに「どのように物語るか」って話だよな。

今作の王妃は、日本で一般的に広まっている閔妃像とは異なる描き方なんだなたぶん。Wikiにも、我が子を世子にするために親戚筋の中国から圧力を掛けてもらったとか大院君とそれで揉めた感じに書いてあったもんな。高宗がどんな意志を持ってたのかも分からないよねー。韓国ではドラマやミュージカルのヒロインにもなってるらしいけど、どんなタッチなんだろうね。