J’aime le théâtre♡

観劇日記。

『vitalsigns』2回目

反芻してたらなんか気になってきたしお座席が大変「涼やか」と聞いたしアフトもあるということで足した。私のチケットが17番でエッと思ったけど予約6(⁉︎)から盛り返したらしくまぁそれなりにお客さん入ってた。でも当パンと一緒に制作さんの"始末書"がw


葉山の変化と、今日はまた鳥浜の様子がすごく胸に迫ったんだよなぁ。


葉山って"人としてこうあるべき"みたいな部分がいちばんちゃんとしてる人かも。劣ってるから殺すとか考えるなんてお前らやっぱ人じゃねぇよ!とか憤ってたもんな。家族思いで子煩悩で仲間思いで優しいあったかいヤツなんだろうな。そう、仲間思い。


鳥浜は、"生きるということは他の生命を奪うことだ"という事実に震えていた。鳥浜も"仲間思い"の意識を強く持っているタイプ。そんな"あったかさ"を、たとえ極限状態でも自分は保っていられるのだろうかと疑問には思うが、でも、大丈夫なんじゃないかと期待もしてる。ヒトは恐ろしいけどそうじゃないヒトもいるかもしれないって、自分にも他人にも期待・希望を持ってるんだね、無意識にかもしれないけど。


浮上して光が射し込んだ時、鳥浜はなんだか柔らかい笑顔のような表情だったなぁ。希望を感じているのかな。葉山が3人をグッと見据えているのは、彼らのことを心配してるんだなって思った。前回はあれは警戒の眼差しだと思ってたんだけどね。


「ヒトの脳ってなかなか高性能でしょ?だからちょっと厄介なんですよ」は六浦の台詞だけど、葉山が「お前らなんで人間を選んだんだよ!カニとかイソギンチャクにしとけば良かったのに!ヒトの脳じゃなけりゃこんなこと考えなくて済んだのに!お前らツラそうだもん」て言ってたのは刺さったなぁ。


そう言えば、葉山と鳥浜は初見の時には好感を覚えなかった2人なのにね。面白い。堀ノ内の言葉には相変わらずと言うかますますヒュッてなっちゃうけど。

汐入なんて今日はちょっと冷徹っていうか身勝手だなと思ったもんな。賢明だし、人当たりいいし、オープンマインドであろうとする姿勢・他者と繋がろうと働き掛ける姿勢は分かるけど、人間の(無邪気な)傲慢さとか本質的に身勝手なんだよなという側面をなんかすごく感じたよ今日は。すごい勝手に序列づけをしてるとことかね。


ラストはさ、体温が変わってたのは六浦の方だね。葉山は手だけ差し出して俯いて、六浦と目を合わさないようにして、顔を見るのが怖くて。あゝやっぱりかクソッ!みたいに思ってたと思う。


最初の32の構図から、"何を以て仲間とみなすか"によって線引き・グループ分けがどんどん変わっていったり、新たな分け方が見えてきたりする。面白い。


"知識と記憶"って切り離せるのか?という問題。"頭と心"みたいなことかな。別物だよなとも思うし、切り離せないような気もする。


「声って強いな」と汐入が言ってたのも印象に残ってる。"俳優の身体"とか最近歌舞伎の話キッカケでちょっと考えてるからな。


あぁ、当パンに「あきらめなかった ものたちへ」って書いてあった。

終盤葉山の「やめろよ可能性に賭けるとか希望に縋るとかもうこいつら人じゃん!」て沁みる台詞。


上演台本はのぎさん独特のト書きに加えてテレパシー部分も台詞として書いてあって読めるのが面白い。

あ、でもラストは私の受け取り方と違うな。

読んでたら、生命が初めて海から陸に上がった進化というダイナミズムとか感じたね。


そしてね、あゝ最も厳然とした線引きって、生者と死者なのかなぁとか思ったりした。